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稲垣 重房(いながき しげふさ、寛文10年(1670年) - 享保5年3月4日(1720年4月11日))は、近江山上藩の第2代藩主。 初代藩主・稲垣重定の長男。正室は大久保忠高の娘。子は稲垣定享(長男)。官位は従五位下。長門守。 通称は主水。寛文7年(1667年)生まれとも言われている。天和元年(1681年)3月1日、将軍徳川綱吉にお目見えする。貞享3年(1686年)12月26日、従五位下長門守に叙任する。宝永4年(1707年)に父が死去したため、翌年閏正月5日に後を継いだ。正徳元年(1711年)5月1日、大番頭となる。享保5年(1720年)3月4日に死去し、後を長男の定享が継いだ。法号は芳厳院歓宗良喜大居士。墓所は群馬県伊勢崎市の天増寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲垣重房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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