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稲垣 重昌(いながき しげまさ、慶長19年(1614年) - 寛永12年10月4日(1635年11月13日))は、江戸時代前期の武将。三河刈谷藩の初代藩主・稲垣重綱の世子だった人物である。 慶長19年(1614年)、稲垣重綱の子として生まれる。母は森川氏俊の娘。西尾忠永の娘を正室に迎える。重綱の世子だったが、寛永12年(1635年)10月4日に父に先立って死去した。享年22。 このため、家督は重昌が死去した翌年に誕生した嫡男の重昭が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲垣重昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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