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稲垣長以[いながき ながもち] 稲垣 長以(いながき ながもち、寛延2年1月14日(1749年3月2日)- 文政6年5月14日(1823年6月22日))は、志摩鳥羽藩の第3代藩主。鳥羽藩稲垣家7代。 第2代藩主・稲垣昭央の長男。正室は加藤泰衑の娘、継室は太田資俊の娘。官位は従五位下、摂津守。 == 生涯 == 安永2年(1773年)7月22日、父の隠居により家督を継ぐ。藩政においては天明の大飢饉による被害や大風雨による城壁破損などのため、多難を極めた。 養子としていた弟の長守が早世したため、寛政6年(1794年)11月11日に家督を養嗣子の長続に譲って隠居した。長続が文政元年(1818年)に死去した後は、次いで藩主となった長剛が幼少のため藩政を後見した。文政6年(1823年)5月14日、75歳で死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲垣長以」の詳細全文を読む
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