翻訳と辞書 |
稲川良夫[いながわ よしお] 稲川 良夫(いながわ よしお、1962年4月13日〔立命館大学クイズソサエティー『RUQSのクイズ全書』情報センター出版局、1993年7月、p.31〕 - )とは日本のクイズ王。1987年の第11回アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ放送網系)などクイズ番組で5度の優勝を収めた〔。 == 来歴 == 岐阜県大垣市生まれ〔。岐阜県立大垣南高等学校を経て立命館大学法学部卒業〔。大学在学中の1982年、第6回アメリカ横断ウルトラクイズと、そのスピンオフ番組であるウルトラクイズ史上最大の敗者復活戦に参加するも惨敗〔『RUQSのクイズ全書』p.13〕。その後、同年12月1日、大学のクラスメート5人と立命館大学クイズソサエティー(RUQS)を結成、初代会長に就く〔。 大学卒業後凸版印刷に入社するが、1987年には第11回アメリカ横断ウルトラクイズに参加。途中国内第3次予選の成田空港でのジャンケンで敗北するも、出身地にほど近い愛知県小牧市のパチンコ店「ニューヨーク」〔現在は閉店して建物も取り壊され現存せず。〕で行われた「名古屋縦断ミニトラクイズ」でのパチンコの敗者復活戦にて見事復活を果たす〔『アメリカ横断ウルトラクイズ 11』日本テレビ放送網、1987年12月、p.27〕。小牧空港発グアム島行きの機内で行われた400問ペーパークイズでも総合トップの成績を収め国外脱出がなった〔。以後安定して上位勝ち抜けが続き、〔カンクンでは圧倒的勝利を収め、ワシントンのクイズサミットではこのCPでの敗者を指名し二抜け、通過時にはエールを送る余裕を見せるなど実力を示した。〕優勝を勝ち取ることとなる〔『アメリカ横断ウルトラクイズ⑪』p.199〕。 優勝から2年後の1989年、第13回アメリカ横断ウルトラクイズに参加。こちらも見事海外脱出を果たすも、第2チェックポイントのグアムで敗退〔『RUQSのクイズ全書』p.73〕。さらに翌年の第14回アメリカ横断ウルトラクイズに参加し第一次予選の第2問にて敗退し、その時前回準優勝の永田喜彰と前回3位の秋利美記雄と3人そろって同時に敗れ去る映像が写し出されていた。 現在は凸版印刷を退社し、イベント会社に勤務。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲川良夫」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|