翻訳と辞書
Words near each other
・ 稲村松雄
・ 稲村梓
・ 稲村武志
・ 稲村神社 (常陸太田市)
・ 稲村稔夫
・ 稲村調整池
・ 稲村透
・ 稲村郁子
・ 稲村隆一
・ 稲村隆正
稲村雅士
・ 稲村順三
・ 稲村順蔵
・ 稲松三郎
・ 稲枝村
・ 稲枝町
・ 稲枝駅
・ 稲架
・ 稲株
・ 稲核


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

稲村雅士 : ウィキペディア日本語版
稲村雅士[いなむら まさし]
稲村 雅士(いなむら まさし、1943年4月20日競輪打鐘読本、149頁。〕 - )は、群馬県出身の元競輪選手日本競輪選手会群馬県支部所属〔)。日本競輪学校第16期生。59歳まで現役を続けた。息子に同じく競輪選手の稲村成浩(69期)〔競輪打鐘読本、148頁。〕、稲村好将(81期)がいる。
== 来歴 ==
群馬県立太田高等学校中退。その後、日本競輪学校第16期生となる。同期に元東京で後に茨城へ移籍する工藤元司郎がいる。1962年7月29日〔、平塚競輪場でデビュー(4着)。同年8月25日に初勝利を挙げる〔。全盛期となる年代において、同県選手である福島正幸田中博木村実成らとともに「群馬王国」の一翼を担った。
1966年11月1日に行われた第20回日本選手権競輪決勝(優勝は宮路雄資)をはじめとして、特別競輪(現在のGI)決勝戦における2着が8回ある。そのため、「万年2着」と揶揄するマスコミも現れたが、1971年高松宮賜杯競輪を完全優勝で制し、悲願の初タイトルを獲得。また、オールスター競輪としては3年ぶりの開催となった第15回大会(大垣競輪場)も制した。
さらに特筆すべきことは、息子である成浩が2001年の日本選手権競輪(松戸競輪場)を制し、松村憲松村信定父子以来となる、史上2例目の父子GI制覇を達成したことである。しかし、成浩が日本選手権を制した翌2002年7月31日、選手登録削除されて引退した。
通算戦績2545戦625勝。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「稲村雅士」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.