翻訳と辞書
Words near each other
・ 稲核ダム
・ 稲核橋
・ 稲核風穴
・ 稲梓村
・ 稲梓駅
・ 稲森あずみ
・ 稲森いずみ
・ 稲森しほり
・ 稲森まほ
・ 稲森ケイト
稲森俊介
・ 稲森克尚
・ 稲森奈見
・ 稲森安太己
・ 稲森宗太郎
・ 稲森寿世
・ 稲森泉
・ 稲森美優
・ 稲森誠
・ 稲森謙太郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

稲森俊介 : ウィキペディア日本語版
稲森俊介[いなもり しゅんすけ]
稲森 俊介(いなもり しゅんすけ、1930年8月29日 - 2011年3月18日稲森俊介氏=元味の素社長 : おくやみ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 〕)は、日本実業家カルピス社長、味の素社長などを歴任、日本食品添加物協会会長を務めた。1998年食品産業功労賞。
== 来歴・人物 ==
神奈川県出身。1955年一橋大学社会学部を卒業し、味の素に入社。27歳で、初めての見合い相手と結婚〔1996/02/02, 日経産業新聞〕。
味の素で海外事業部長、名古屋支店長等を務めた。和風調味料「ほんだし」の生みの親とされる〔。1981年にアメリカ味の素社長に就任し、ノースカロライナ州に建設された初の医薬用アミノ酸工場の立ち上げの指揮にあたった〔。
1984年に味の素取締役に就任。ところが、その後過労のため意識を失い、三度の入院生活を送る〔。その後代表取締役専務等を務めた。
1990年に経営不振に陥っていたカルピス再建のため、同社に出向し、顧問に就任。1991年に社長昇格。周囲の反対を押し切り大規模な設備投資を断行した〔1990/09/07, 日経産業新聞、1990/09/29, 日経産業新聞、1991/02/23, 日経産業新聞〕〔。同年に発売された新製品カルピスウォーターが、缶入り清涼飲料水のトップとなる〔1995/07/20, 日経流通新聞〕。
カルピスの経営再建を実現させ、1995年カルピス会長に退き、味の素社長に就任〔1995/04/26, 日本経済新聞〕〔1995/04/27, 日本経済新聞〕。ゴルフ場計画の失敗の責任を取り、会長から、取締役名誉会長に退いていた創業一族の鈴木三郎助に対し、社内の指揮系統の混乱をさせないため、今後経営会議に出席しないように要請した〔1997/04/11, 日本経済新聞〕。1996年中国での冷凍食品工場建設、ベトナム、タイでのグルタミン酸ソーダ一貫生産計画などを発表〔。ところが1997年総会屋への利益供与事件が発覚し、引責辞任し、会長に就任。同時に、池田安彦会長や、創業一族の鈴木三郎助取締役名誉会長も退任した〔。この人事は、鈴木一族の経営への介入を断ち切るために、稲森が鈴木名誉会長とさし違えたものとされる〔。
趣味の囲碁は6段、ゴルフのハンディは18〔。将棋麻雀も有段者である。妻も囲碁3段で夫婦で囲碁をうつ〔。好きな作家は吉川英治山本周五郎血液型B型〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「稲森俊介」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.