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茨城県の石材用手押軌道群[いばらきけんのせきざいようておしきどうぐん] 茨城県の石材用手押軌道群(いばらきけんのせきざいようておしきどうぐん)では、茨城県で産出される石材(花崗岩)の輸送を目的として敷設された軌道について述べる。採石場から最寄りの駅まで人力で輸送していた。トラックの進出により軌道は撤去された。 == 樺穂興業 == 筑波鉄道樺穂駅より加波山〔加波山の花崗岩採掘のはじまりは英国人指導者によるものとされ、加波山の採石場より岩瀬駅までトロッコ軌道(8キロ)が敷設された。しかし輸送費がかさみ休止されたという。鍋島彦七郎はここにも調査に訪れたが先例を聞き断念したという。『稲田御影石材史』52頁〕で産出される真壁御影石を搬出するため敷設された。 樺穂興業〔『日本全国諸会社役員録. 第30回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕は1921年(大正10年)10月10日〔に設立された軌道法に基づく事業者。兼業として石材採掘販売もおこなった。筑波鉄道に駅用地の提供をして樺穂駅が1922年(大正11年)3月20日に開業になり、1923年(大正12年)3月21日 軌道特許状〔「軌道特許状下付」『官報』1923年3月26日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕が下付されると加波山の採石場から樺穂駅まで軌道を敷設、8月28日に開業した〔『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。片勾配を利用して人力により運んだ〔中川によれば決算書から見た限りでは沿線の石材業者が貨車を乗り入れてその通行料を徴収する方式をとっていたとのこと。〕。貨物取扱いは年々増加したが樺穂駅の開設費用負担により開業以来かなりの間赤字決算を続けた。戦後燃料の供給が安定するとトラック輸送に切り替わり、廃止日は1954年(昭和29年)9月30日であるがそれ以前から休止していた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「茨城県の石材用手押軌道群」の詳細全文を読む
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