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稲田植久[いなだ たねひさ] 稲田 植久(いなだ たねひさ、享保9年(1724年) - 明和7年9月6日(1770年10月24日))は、徳島藩筆頭家老。淡路洲本城代稲田家8代当主。 子は稲田植晟、稲田植樹、稲田植苗室。幼名直作。通称梶太郎、九郎兵衛。 == 生涯 == 享保9年(1724年)、蜂須賀家家老稲田植政の子として生まれる。元文3年(1738年)、藩主蜂須賀宗英に御目見する。元文4年(1739年)、藩主蜂須賀宗鎮家督相続の御礼言上の際に、将軍徳川吉宗と世子家重に拝謁する。同年(1739年)、父植政の死去により家督を相続する。延享3年(1746年)、洲本仕置となる。同年、幕府巡見使を領内に迎える。延享4年(1747年)、稲田学問所(郷校益習館の前身)を開設する。寛延3年(1750年)、幕府より徳島藩が日光東照宮修理普請の助役が命じられ、その監督を務める。宝暦5年(1755年)、病により洲本仕置を辞任する。宝暦8年(1758年)、再び洲本仕置となる。明和2年(1765年)、藩主蜂須賀重喜の改革に反対した仕置家老の賀島政良、長谷川貞雄が罷免され、代わって仕置家老となる。明和7年(1770年)9月6日死去。享年47。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲田植久」の詳細全文を読む
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