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稲畑産業株式会社(いなばたさんぎょう)は、住化グループの専門商社。主に電子材料、住宅設備関連、化学品、合成樹脂等を扱っている。 同じく大阪に本社を置く伊藤忠商事、阪和興業、岩谷産業、長瀬産業、山善などと並ぶ在阪商社の一つ。 == 概要 == 1890年、京都府派遣留学生としてフランスのリヨンで染色技術を学んだ稲畑勝太郎が帰国後、京都に稲畑染料店を開業したのが稲畑産業の起源である。その後、1893年に社名を稲畑商店と改め、翌年には東京にも進出。さらに1897年には、本店を京都から大阪へと移転、同年大阪に稲畑染工場を設立し、最新技術を用いた染色加工業にも進出。 日本の近代化のため欧州の先進的な商品や技術を導入すべく、染料、染織機械、薬品、香料、医薬品などを輸入する一方、染色技術の実地指導にも力を注いだ。 第一次世界大戦による経済的混乱が日本の染料業界にも及んでいた1916年、政府は染料の国産化を促すため、1926年、後の住友化学株式会社のファインケミカル事業の基礎となる日本染料製造株式会社を大阪に設立、勝太郎は社長に就任した。 その後、稲畑商店は主に日本染料の製品販売を目指し、ブラッセル、奉天、天津、上海、バタビア、ソウル、青島、ハノイ、大連、済南、ジョクジャカルタに拠点を開設、海外進出を積極化させた。1918年には稲畑商店を株式会社化、さらに第二次世界大戦により商業活動の規制が強まる1943年、社名を稲畑産業株式会社と変更した。 戦後は、日本の高度成長とともに稲畑産業の事業規模も拡大、1961年の大阪証券取引所、翌1962年の東京証券取引所第二部上場を経て、1973年8月には両取引所の第一部に上場した。1976年には戦後の海外拠点第1号となったイナバタ・シンガポールを設立。その後世界各地にネットワークを拡大し、海外約50カ所で、情報電子、化学品、合成樹脂、住環境、食品の5分野において事業を行っている。 創業者勝太郎は、1926年に財団法人日仏文化協会を設立するなど、日仏交流に尽力した。同協会の活動拠点となっている京都市の関西日仏学館では、現在でもフランス語、フランス文化の普及や両国のアーティスト・研究者による交流が繰り広げられており、稲畑産業はその活動を支援している。 また、創業以来親しまれてきた稲畑産業のロゴマーク「IK」。マークは創業者勝太郎のイニシャルであると同時に「愛・敬」の意味が込められている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲畑産業」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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