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稲荷森古墳 : ウィキペディア日本語版
稲荷森古墳[いなりもりこふん]

稲荷森古墳(いなりもりこふん)は、山形県南陽市長岡にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。
山形県では最大、ひいては東北地方でも第6位の規模の古墳で〔東北地方における主な古墳は次の通り。
# 雷神山古墳宮城県名取市) - 墳丘長168メートル。
# 亀ヶ森古墳福島県河沼郡会津坂下町) - 墳丘長127.3メートル。
# 玉山古墳(福島県いわき市) - 墳丘長110メートルから120メートル程度。
# 会津大塚山古墳(福島県会津若松市) - 墳丘長114メートル。
# 遠見塚古墳(宮城県仙台市) - 墳丘長110メートル。
ただし、南陽市長岡にあったとされる長岡南森古墳が墳丘長約165メートルの前方後円墳であったとする説もある(『やまがたの古墳時代 -最上川流域のムラと古墳-』 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館、2011年、p. 30)。〕、4世紀末(古墳時代前期)の築造と推定される。
== 概要 ==
山形県南部、米沢盆地北縁で吉野川右岸の長岡丘陵上において、孤立丘の丘尾を切断して築造された大型前方後円墳である。大型古墳としては日本海側内陸部で最北に位置する〔前方後円墳(大型古墳に限らない)の日本海側内陸部最北は坊主窪古墳群(山形県東村山郡山辺町大寺)の坊主窪1号墳になる。〕。これまでに数次の調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を南南西方に向ける〔。墳丘は後円部が3段築成、前方部が1段築成で、旧状を良好に遺存する。墳丘長は約96メートルを測り、山形県では最大、東北地方でも第6位の規模になる〔。墳丘表面で葺石埴輪は検出されていないが、墳丘内部から土師器が出土している。また周濠も存在していないが、墳丘の周囲一定範囲にテラス帯が認められている。主体部となる埋葬施設は未確認で明らかでないが、一説には石室を持たない木棺直葬と推測される〔。
この稲荷森古墳では、年代観を正確にする埴輪等の資料が出土していないものの、墳形および出土土師器を基に4世紀末頃(古墳時代前期)の築造と推定されている。本古墳の築造以前には米沢市域・川西町域・南陽市域の3地域で前方後方墳を主とする古墳(天神森古墳・宝領塚古墳など)が営まれていたが、稲荷森古墳によってそれら3地域が統合された様相を示すため、稲荷森古墳はそれらを統合した首長(置賜地方の王)により記念碑(象徴)的に築造されたものと考えられている。しかし稲荷森古墳に続く首長墓はなく、置賜地方の中心地は米沢市域に移ったとされる。そのほか、稲荷森古墳と大塚山古墳(宮城県名取市)・念南寺古墳(宮城県色麻町)・堂の森古墳福島県浪江町)などとの墳形の類似性を指摘する説や、稲荷森古墳の被葬者が東北地方最大の雷神山古墳(宮城県名取市)の被葬者と同盟関係にあったとする説もある。
古墳域は1980年昭和55年)に国の史跡に指定された〔。その後現在までに、墳丘を基本的に維持したままで史跡整備がなされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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