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稲葉 尊通(いなば たかみち)は、豊後国臼杵藩の第12代藩主。 文政3年(1820年)5月6日、父から家督を譲り受けたが、結果的に藩主の激務は体がもともと弱い尊通の命を削ることとなった。文政4年(1820年)に宇和島藩主の三女との間で結ばれていた婚約を破棄し、江戸から臼杵へ帰国したが、発熱するようになり同年10月17日に21歳の若さで死去した。 嗣子がないため、急遽、家老が江戸に上り、父の雍通と協議の上、弟の幾通仮養子の届けを幕府に提出。その後、養子が認められたため、幾通が次代の藩主となった。 ==出典== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲葉尊通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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