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稲野年恒 : ウィキペディア日本語版
稲野年恒[いなの としつね]
稲野 年恒(いなの としつね、安政5年〈1858年〉 - 明治40年〈1907年5月27日)とは、明治時代の浮世絵師日本画家
== 来歴 ==
月岡芳年の門人。加賀国(現石川県金沢の出身で本姓は武部、名は孝之。後に稲野家に養子に入り、画姓として稲野を使用した。斎(えいさい)、胤斎、北梅、可雅賎人、可雅仙人とも号す。東京で月岡芳年に浮世絵を学んだ後、京都幸野楳嶺に師事した。のち大阪に住む。明治15年(1882年)頃から「東京名所両国横山町通鉄道馬車往復之図」などの大錦3枚続シリーズや、「毎日新聞」において小説挿絵を描いた。他にも、雑誌、装丁の挿絵、口絵などに新機軸を発揮、幅広く活動した。口絵では明治19年(1886年)に刊行された坪内逍遥の『当世書生気質』合本及び『未来の夢』(ともに晩青堂版)を始めに、明治24年(1891年)刊行の末広鉄腸の『黄金の花』、翌明治25年(1892年)刊行の『南海の激浪』(ともに嵩山堂版)などが挙げられる。活躍した期間も長く、多くの作家の口絵を手がけているが、その作風は浮世絵の影響を引き継いだ感じが強く、線に依存している点が特徴であった。明治26年(1893年)のシカゴ万国博覧会に毎日新聞社から派遣された。帰国後は「大阪朝日新聞」に移り、挿絵などを描いている。享年50。墓所は大阪市天王寺区夕陽丘の太平寺。法名は孝之院不睦年恒居士。
大阪で芳年門下の系統を育てており、門人に北野恒富幡恒春、宮本恒秀、赤井恒茂、恒志、磯部恒延、槙岡恒房がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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