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穂刈四三二 : ウィキペディア日本語版
穂刈四三二[ほかり しさんじ]

穂刈 四三二(ほかり しさんじ、1908年3月28日 - 2004年1月2日)は日本の数学者である。東京都立大学名誉教授、元城西大学学長。
高校数学教育において業績を残している。
== 生い立ち ==

* 明治39年(1906年)3月28日、将来妻となる静江、北海道札幌郡藻岩村大字円山223番地で戸主黒須宇之助とミキの二女として生れる。
* 明治41年(1908年)3月13日、新潟県三島郡来迎寺村に久太郎(慶応3年(1867年)6月14日生)とトリ(明治14年(1881年)1月13日生)の次男として生れる。四三二の名前の由来は、子供として長男久五郎(明治34年(1901年)3月30日生)、長女ヨシ(明治36年(1903年)9月11日生、明治37年(1904年)8月25日死去)、二女きく(明治38年(1905年)10月25日生、青木家に嫁す、平成20年(2008年)1月25日死去)に次いで4人目、生きている子では3人目、男では2人目(二男)。後に、三女ミヨシ(明治44年(1911年)1月6日生、明治45年(1912年)1月31日死去)、三男六一郎(大正2年(1913年)7月10日生、大正3年(1914年)7月21日死去)、四女タカ(大正4年(1915年)5月10日生、小山政雄に嫁す、平成25年(2013年)7月20日死去)、四男五三郎(大正7年(1918年)4月1日生、インパール作戦で昭和19年(1944年)夏に戦死)、五男香(大正11年(1922年)6月19日生、平成25年(2013年)6月2日死去)の6人兄弟となる。親も四三二が数学者になるとは思わなかった。
* 大正08年(1919年)3月31日、義務教育の来迎寺村尋常小学校を卒業。地主の子だけが進学する時代、学校に行かず野良仕事が通例の小作人の子として、野良で鍬を入れる車を押しながら本を読んで勉強、それを見た親が例外的に3キロ離れた隣村の浦村高等小学校(尋常高等小学校)高等科に進学させる。
* 大正10年(1921年)3月31日、浦村高等小学校(尋常高等小学校)高等科卒業。
* 大正10年(1921年)8月25日、親に頼れず自宅近くの知り合いの小料理屋から借金、田舎のぼろ服のまま、ただ独り家出同然に上京、浅草寿町で針仕事をしていた姉きく(3歳上、当時16歳)が住む叔母の家の前をうろうろ、叔母が「あれ、よっちゃんじゃない?」と発見、きくが家に連れ帰る。叔母の夫が働く東京電灯(現東京電力)で給仕(お茶汲み)の仕事を得、課長に気に入られ「そんなに勉強が好きなら給仕の仕事はいいから、その間勉強をしなさい」と言われ、勉強を始める。針仕事の女性達が働いている後ろで独り勉強を続ける。 姉きくの結婚後も居候し、姉のお陰で進学を決意、東京開成予備学校3年終了。
* 大正13年(1924年)3月15日、静江、埼玉県女子師範学校第一部卒業、小学校正教員免許状を受ける。
* 大正13年(1924年)3月31日、静江、埼玉県北足立郡原市尋常高等小学校訓導。
* 大正14年(1925年)4月1日、静江、奈良女子高等師範学校理科入学。
* 大正15年(1926年)4月1日、東京物理学校(現東京理科大学)数学科入学。
* 昭和03年(1928年)3月31日、東京物理学校数学科卒業、学業優良につき中村・三守賞を受領。
* 昭和04年(1929年)3月24日、静江、奈良女子高等師範学校理科卒業、修身、数学、物理、化学、園芸、体操の中等教員免許状を受ける。
* 昭和04年(1929年)4月1日、東京府私立南足立中学校教諭。
* 昭和04年(1929年)4月1日、静江、札幌市のカトリック高、藤高等女学校教諭。
* 昭和05年(1930年)1月、文部省中等教員数学検定試験合格。師範学校中学校高等女学校教員試験検定合格、数学科教員免許状を受ける。
* 昭和05年(1930年)2月、東京物理学校の恩師森本清吾先生から呼ばれ、「北大に理学部が出来る。親友の河口商次君(当時27歳)が数学担当として選抜された。助手の世話を頼まれたので行ってくれ」と紹介状を貰う。
* 昭和05年(1930年)3月31日、東京府私立南足立中学校退職。
* 昭和05年(1930年)4月1日、上野発夜行急行列車で26時間かけて札幌へ、残雪、交通手段は馬車、その馬糞が道路にいっぱい。北海道帝国大学理学部助手、欧文タイプの練習を始め、図書カード作りを手伝う。
* 昭和06年(1931年)4月5日、吉田、河口、功力先生の講義を聞き、物理学校時代の数学はほんの序の口だったことを悟り、また、物理学校卒だけでは学歴不足を認識し、北海道帝国大学理学部助手を1年で辞し、北海道帝国大学理学部数学科第2期生として入学。
* 昭和06年(1931年)12月31日、札幌商業教諭。学資不足を補う為、大学の授業のない土曜日に4時間担当。
* 昭和07年(1932年)11月1日、北海道大学理学部数学教室聴講生の黒須静江(2歳年上)と札幌郡藻岩村で(学生)結婚。
* 昭和09年(1934年)3月31日、北海道大学理学部数学科卒業(1年上に堀内義和先生在籍)、同助手。
* 昭和09年(1934年)8月31日、札幌第二中学校教諭を辞する。
* 昭和13年(1938年)、上司河口商次教授がテンソル学会を創立して機関紙「テンソル」を出版するに際し協力を要請される。戦時で出版用の紙が高騰、河口教授が洋書の海賊版を会員に販売して出版資金を調達したことに猛反対、テンソル学会を除名される。
* 昭和14年(1939年)6月30日、北海道帝国大学理学部講師。
* 昭和14年(1939年)9月3日、同助教授。叙高等官七等。
* 昭和14年(1939年)10月1日、叙従七位。
* 昭和14年(1939年)10月11日、「微分幾何学の研究」により理学博士の学位を取得。
* 昭和15年(1940年)5月18日、高等学校高等科教員無試験検定合格者として教員免許状取得。
* 昭和15年(1940年)9月3日、北海道帝国大学助教授。河口教授から転勤の話があったが断る。その後同教授との関係悪化。東京方面に転出する決心をするが公表しなかった。教授会で河口教授が「穗刈助教授は以前転任問題でごたごたしたので教授に推薦しない」と発言あり。数学科の教授・助教授は全員他の大学へ転出。
* 昭和19年(1944年)1月31日、叙高等官五等。
* 昭和20年(1945年)3月1日、叙従六位。
* 昭和21年(1946年)3月31日、静江、札幌藤高等女学校教諭を退職。
* 昭和21年(1946年)4月15日、静江、北海道大学農学部に聴講生(園芸学)として入学(~昭和23年3月25日)。
* 昭和22年(1947年)4月1日、大学制度審議委員、大学院卒に「修士」の名称をみずから提案、制度化される。
* 昭和24年(1949年)4月1日、東京都立大開校と同時に同大学教授に就任、他に複数の新制大学に申請大学設置準備委員会から招聘されたが、子供の教育上断る。「4人の子供を希望する学校へ進学させ勉学させるためには、下宿生活が必要。給料生活の私には不可能」と考えた。東京都公立学校委員に就任。
* 昭和24年(1949年)8月31日、静江、札幌藤学園を退職。
* 昭和24年(1949年)9月10日、札幌から東京都杉並区荻窪に住居を移転。
* 昭和25年(1950年)1月23日、静江、東京都渋谷区の実践女子学園教諭。
* 昭和28年(1953年)4月1日、東京工業大学非常勤講師。
* 昭和28年(1953年)6月1日、東京都立大学評議員。
* 昭和30年(1955年)3月31日、静江、実践女子学園教諭を退職。
* 昭和31年(1956年)10月1日、地方自治法施行規定第16条の規定により叙級廃止となる。
* 昭和34年(1959年)10月1日、東京都公立学校長に就任、東京都立大学付属高等学校長。
* 昭和34年(1959年)10月15日、数学で高等学校教諭一級普通免許状及び中学校教諭一級普通免許状取得。
* 昭和35年(1960年)12月1日、大学設置審議会委員。
* 昭和37年(1962年)4月1日、愛知工業大学電気工学科非常勤講師。
* 昭和38年(1963年)3月31日、愛知工業大学非常勤講師を辞す。
* 昭和39年(1965年)1月1日、American Mathematical Society会員。
* 昭和41年(1966年)3月31日、東京工業大学非常勤講師。
* 昭和46年(1971年)4月1日、城西大学教授、同大学理学部長。
* 昭和46年(1971年)6月15日、東京都立大学名誉教授。
* 昭和52年(1977年)8月3日、日本数学教育学会名誉会員。
* 昭和53年(1978年)4月1日、城西大学学長。
* 昭和55年(1980年)4月1日、城西大学名誉学長。
* 昭和57年(1982年)4月1日、城西大学名誉教授。
* 昭和57年(1982年)8月8日、静江、乳ガン起因の多臓器ガンで死去、享年76。
* 昭和62年(1987年)4月15日、勲三等旭日中綬章、日本数学会「幾何学賞」創設メンバーに就任。
* 平成12(2000年)7月1日、東京都町田市の有料老人ホームのサンシティ町田に入居。
* 平成16(2004年)1月2日、午後7時42分、肺炎で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「穂刈四三二」の詳細全文を読む



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