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穂国造 : ウィキペディア日本語版
穂国造[ほのくにのみやつこ ほのこくぞう]

穂国造(ほのくにのみやつこ・ほのこくぞう)は、古墳時代宝飯郡に置かれ東三河一帯を支配したヤマト政権の地方官(国造)である。ただしその実態に定説はない。この「国」は令制以前の国造国を指し、後の令制国とは異なる。
== 概要 ==
『豊橋市史』によれば、『古事記』の開化天皇条で朝廷別王丹波道主王の子〔豊橋市史編集委員会編 『豊橋市史』第1巻、豊橋市、1960年〕)が「三川の穂の別の祖ぞ」と書かれているのが穂国造のはじまりとされる(ただしここでの記述はあくまでも「穂の"ワケ"」であり「穂の"国のミヤツコ"」ではないことに注意。一説には丹波道主王の子は景行天皇時代に穂国へ入ったともある〔)。また『先代旧事本紀』巻十国造本紀の穂国造条に、雄略天皇朝に葛城襲津彦4世孫の菟上足尼(うなかみのすくね)を穂国造に任じたとあるため、国造の交替があったといわれ〔。大化改新以後、穂国造と三河国造との領域を合わせて、三川国(三河国)が設置されたとされる〔三鬼清一郎編 『愛知県の歴史』山川出版社、2001年〕。
奈良県明日香村石神遺跡から出土し、制下の7世紀後半と見られ宝飯郡成立に関する最古の史料とされる木簡に、「三川穂評穂里穂ア佐」とあり、意味は「三河(国)穂(ほのこおり)穂里(ほのさと)の穂部佐(ほべのたすく)」という人名であると解釈されている。「穂の里」という地名の存在を示すものであり、穂国造の存在を研究する有用な資料とされる〔『中日新聞』2005年2月8日〕。
しかし『先代旧事本紀』は平安時代に書かれた偽書と見る説が有力で、「国造本紀」などの書の一部に史料価値を認める論〔新野直吉(『世界大百科事典第二版』平凡社)、佐伯有清(『日本大百科全書』小学館)。〕があるも、これを史料としての取り扱う際には注意を要する。そのため、『先代旧事本紀』の「国造本紀」に書かれた穂国造設置には信頼性の面で問題がある。他の史料、すなわち木簡金石文などに穂国造の活動は見えない。そもそも古事記では国造が設置されたのは成務天皇の時代であり、雄略天皇の時代には国造に関する記述はない。
また、役職名たる国造の存在だけしか確認できず、設置時期や正確な支配領域に関しては不明な点が多い〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「穂国造」の詳細全文を読む



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