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穂積濃美麻呂[ほづみ の のみまろ]
穂積 濃美麻呂(ほづみ の のみまろ)は、飛鳥時代後期から奈良時代中期にかけての豪族・神職。中衛将曹・穂積男麻呂の子。 == 概要 == 天武天皇13年(684年)の八色の姓制定の際、穂積氏は臣姓から朝臣姓に改姓し〔『日本書紀』天武天皇13年11月1日条〕、濃美麻呂も同時に改姓したと想定される。当初は父・男麻呂とともに摂津国島上郡野身里に居住していたが、紀伊国牟婁郡熊野に下向して熊野大社の神職となった。 文武天皇4年(700年)濃美麻呂は師の役行者と共に、相模国足柄下郡を訪れ、陰陽の秘法を以て「金剛蔵王権現」「弁財天」「子守大明神」を祀って子之神社を創祀したとされ、このとき、当地で見出した「霊妙なる薬湯」が現在の湯河原温泉であると伝わる〔『子之神社、古神道総齋主・天佑師公式ホームページ』神社案内 〕。 天平宝字3年(759年)6月10日卒去。享年87。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「穂積濃美麻呂」の詳細全文を読む
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