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穐田 弘志(あきた ひろし)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。東京出身。陸士36期・陸大46期。 == 略歴 == *1940年(昭和15年)4月6日 駐独武官輔佐官 *1941年(昭和16年)3月14日 参謀本部ドイツ班長兼陸軍大学校教官 *1943年(昭和18年)8月2日 陸軍大佐、航空総監部附 * 12月1日 浜松陸軍飛行学校教官 *1944年(昭和19年)1月10日 第7飛行団長 * 12月18日 南方軍参謀 *1945年(昭和20年)1月20日 第23軍高級参謀 * 4月2日 第16方面軍高級参謀 戦後、いわゆる「九州大学生体解剖事件」に関与したとして戦犯容疑で起訴され、GHQによる裁判で「終身刑」を言い渡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「穐田弘志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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