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穴穂部間人皇女 : ウィキペディア日本語版
穴穂部間人皇女[あなほべのはしひとのひめみこ]

穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ、生年不詳 - 推古天皇29年12月21日622年2月6日)〔『上宮聖徳法王帝説』〕)は、飛鳥時代皇族欽明天皇の第三皇女。母は蘇我稲目の娘・小姉君。同母弟に穴穂部皇子崇峻天皇がいる。穴太部間人王孔部間人公王間人穴太部王鬼前太后とも称す。
聖徳太子生母として知られる。
「穴穂部」の名は、石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)で養育されたことに由来すると考えられている〔狩野(1993)p.224-227〕。
なお「間人」(はしひと、もしくは はしうど)の名を持つ皇女は他に舒明天皇皇女(孝徳天皇皇后)がいるが単に間人皇女(はしひとのひめみこ)と呼ばれることが多い。
== 婚姻と出産 ==
異母兄・用明天皇皇后。厩戸皇子(聖徳太子)・来目皇子殖栗皇子茨田皇子を産む。
用明天皇崩御後は、用明天皇の第一皇子・田目皇子(多米王、聖徳太子の異母兄)に嫁し佐富女王長谷王妃、葛城王・多智奴女王の母)を産んだ(『聖徳太子平氏伝雑勘文』 上ノ三 上宮太子御子孫竝后等事条 所引にある『上宮記逸文に「多米王 父ハ用明 母ハ蘇我女也 父天皇崩後 娶庶母間人孔部王生兒 佐富女王 一也」とある)。
また、穴穂部間人皇女にとっての長子である聖徳太子は敏達天皇3年1月1日(574年2月7日?)の出生で、末子である佐富女王は用明天皇3年(588年?)以降の出生であることから、女性の出産年齢を考えると、550年代の生まれであると推定できる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「穴穂部間人皇女」の詳細全文を読む



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