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穴見 陽一(あなみ よういち、1969年7月24日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。株式会社ジョイフル第2代・第5代代表取締役社長。ジョイフル創業者の穴見保雄の長男。同社顧問(元社長)の児玉幸子は叔母、現社長の穴見くるみは妻。 == 来歴 == 大分県佐伯市出身。大分県立大分上野丘高等学校卒業、一浪後入学した法政大学経済学部を3年で中退。大学時代、幸福の科学の学生部に所属〔。 1994年に父が経営するジョイフルに入社。1997年に地域子会社の中国ジョイフル(岡山県倉敷市)の社長に就任(ジョイフル本社はこの時点で一旦退職)。当初中国ジョイフル社長に予定していた人物が辞退したことを受けての就任だった。 「2001年までの6年間で、外食市場は1991年の規模にまで縮小。その頃、ジョイフルは急激な出店に人材が追い付かず業績の低迷に喘いでいた。その中でも中国ジョイフルは独自に立ち上げたメニューが大好評となり、驚異的な発展を見せていた。この事も相まって陽一の要望から、競争が厳しいチェーンストア経営を息子に継がせてよいものかと迷う父の思いをふっ切る形で経営を譲り受けていくことになる。2002年11月陽一は中国ジョイフル社長兼務のままジョイフル副社長に就き、ドリンクバーや新メニュー導入を全社的に実施、業績の回復に大きく貢献した。」〔「熱 現状打破のジョイフル創業記」岡田清治著 出版文化社 から引用〕 2002年11月に中国ジョイフルはジョイフル本社に合併され、2003年3月に父の後を継いでジョイフル社長に就任。 2007年に自由民主党の衆議院大分1区の候補者公募に応募。当初選ばれた候補者が辞退したため、最初の選考委員会の決選投票で次点だった穴見が繰り上げで選ばれた。 FACTAは、穴見が幸福の科学信者であり、候補者として選ばれた背景には、幸福の科学の豊富な資金力と教団の選挙支援への期待があった、と報じている〔 〕。選挙活動中は社長を退任することを表明していたが、これを受けて同年12月13日に2008年1月1日付で代表権のある会長に就任することとなった。しかし同年の世界同時不況による業績悪化の責任を取り、また自身の選挙活動に専念するため、2009年3月26日をもって会長の座を退き、ジョイフルを去った。 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬。公明党の推薦も受けたが〔比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)〕、民主党の吉良州司に約6万票という大差を付けられ落選し、比例復活も叶わなかった。 落選後はジョイフルの顧問に就任している。なお、陽一はジョイフルの第4位の大株主(2.99%)で、穴見個人の資産管理会社〔「穴見個人の」と断りが付くのは、穴見家全体の資産管理会社であるジョイ開発有限会社とは全く別個にあるためである。〕であるアナミアセット有限会社名義(4.57%。この数字は第2位)と合わせると8%弱の株式を保有している。2011年3月24日のジョイフルの定時株主総会で取締役に復帰し〔役員の異動に関するお知らせ ジョイフルニュースリリース2011年2月10日〕、直後の取締役会で代表取締役社長に復帰した〔代表取締役及び役員の異動に関するお知らせ ジョイフルニュースリリース2011年3月24日〕。 2012年3月23日の定時株主総会直後の取締役会で社長を妻のくるみに譲り、自らは相談役となったが、代表権は陽一のみが引き続き持っていた。〔代表取締役の職務の変更及び役員の異動に関するお知らせ ジョイフルニュースリリース2012年3月23日〕 (陽一の総選挙当選を受け、翌年の2013年3月24日の定時株主総会で共同代表制を復活させて、くるみにも代表権を与えている)〔代表取締役の選任に関するお知らせ ジョイフルニュースリリース2013年3月25日〕 2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に自民党公認、公明党推薦で大分1区から出馬し、吉良を破って初当選した。 2014年12月の第47回衆議院議員総選挙において、大分1区から立候補を出馬し、小選挙区では敗れたものの、比例復活で再選。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「穴見陽一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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