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窪田治輔[くぼた じすけ] 窪田 治輔(くぼた じすけ、1886年(明治19年)11月〔『人事興信録』第9版、ク38頁。〕 - 没年不詳)は、日本の内務・文部官僚。官選県知事。 ==経歴== 山口県出身。窪田幾蔵の二男として生まれる〔〔『新編日本の歴代知事』1109頁。〕。第五高等学校を首席で卒業〔。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1913年、東京帝国大学法科大学を卒業。内務省に入省し静岡県属となる〔〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』202頁。〕。 以後、静岡県賀茂郡長、同小笠郡長、文部省督学官兼同参事官、同書記官、同大臣官房文書課長、同実業学務局長などを歴任〔〔。 1929年10月9日、山形県知事に就任。小作争議の対策に尽力。また、1931年に小田島村地主襲撃事件(小田島事件)が発生し臨時県会で不況対策を検討した〔『新編日本の歴代知事』198頁。〕。同年10月24日、昭和天皇行幸が予定されていた鹿児島県の山口安憲知事が腸チフスとなり急遽知事を交代〔。約二カ月の在任で、同年12月18日に知事を休職〔『官報』第1493号、昭和6年12月19日。〕。1933年9月11日に依願免本官となり退官した〔『官報』第2011号、昭和8年9月12日。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「窪田治輔」の詳細全文を読む
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