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窪田 義行(くぼた よしゆき、1972年5月18日 - )は、将棋棋士。棋士番号210。東京都足立区出身。江戸川学園取手高等学校卒。花村元司九段門下。 ==戦歴== 第9回(1984年)小学生将棋名人戦で優勝。決勝の相手は、後に、同じくプロ棋士となる金沢孝史であった。同年、6級で奨励会に入会。花村門下では、深浦康市は入門が数日違いの弟弟子である。窪田が入門する際、試験将棋として当時17歳で四段だった森下卓と平手で指して2連勝するも、以後「プロが小学生にナメられてはたまらない」と試験将棋にもかかわらず本気を出した森下が窪田を6番棒に負かし、ついには窪田を泣かしてしまったという〔2006年5月14日放送「第56期NHK杯将棋トーナメント1回戦:北浜健介対窪田義行」にて解説を担当した森下卓が紹介〕。 奨励会での成績は長周期の波があったが、1994年春、22歳で四段昇段(プロ入り)する。 20代後半の頃には公式戦で著しい成績不振に陥り、特に27歳で迎えた1999年度は通算26戦中僅か4勝しかできず、しかもそのうち1勝は女流棋士の清水市代から得たものであった。続く2000年度・2001年度でも勝率3割を切り、C級2組に在籍していた順位戦では、第58期(1999年度)・第60期(2001年度)でそれぞれ降級点を喫し、あと1点で累積3点となり規定によりフリークラスに陥落するというピンチを迎えるが、30歳で迎えた第61期(2002年度)では一転して9勝1敗・45人中2位の成績でC級1組昇級を果たす。降級点が累積2点という状態での昇級は、第37期(1977年度)の木下晃以来、史上2人目。また、降級点を喫した直後の期での昇級も、各級全てを合計して窪田が6例目〔前例は、第19期(1964年度)の関屋喜代作(C2→C1)、第28期(1973年度)の安恵照剛(C2→C1)、第29期(1974年度)の松田茂行(B2→B1)、第37期(1977年度)の木下晃(C2→C1)、および、第56期(1997年度)の北浜健介(C1→B2)。〕である。 1999年、第7期銀河戦(非公式戦時代)で島朗を破りベスト4進出(準決勝で郷田真隆に敗れる)。2005年、第76期棋聖戦で、中原誠、加藤一二三、南芳一らを破り、挑戦者決定トーナメント(ベスト8)に進出。2006年度、第56回NHK杯戦で、前回優勝者の丸山忠久らを下してベスト4入り(準決勝で森内俊之名人(= 当時)に敗れる)。 第67期(2008年度)順位戦C級1組の最終局は、自分が勝って昇級を争う対象者(広瀬章人)が負ければ昇級という状況で迎えた。結果、そのとおりとなり、8勝2敗・31人中2位の成績でB級2組昇級を果たす。この一局は、深夜2時を過ぎる261手の長手数であり、その日行われたC級1組の15局の中で最も遅い終局であった。また、この昇級により、後述の珍記録を樹立した。 2010年第36期棋王戦で、破竹の勢いで勝者組の決勝まで勝ち上がるも敗退。敗者復活に望みを懸けるも挑戦者決定戦にはあと1勝及ばなかった。しかしながらベスト4の規定により次期のシード枠を獲得。12月、第52期王位戦予選で4連勝し、リーグ入りを果たす。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「窪田義行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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