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立入宗康 : ウィキペディア日本語版
立入宗康[たてり むねやす]
立入 宗康(たてり むねやす、生年不明 - 永正12年5月21日1515年7月2日))は、近江国野洲郡立入城(現滋賀県守山市立入)主。
== 略歴 ==
立入氏は本姓藤原氏で室町幕府奉公人松田氏の一族松田秀興が立入の地に城を築き立入と称したと伝えられ、立入宗康は松田秀興の子とされる。立入宗康は、六角高頼に仕え野洲郡一体の8万石の領主であった〔「近江人物志」 P210「立入宗康」(滋賀県教育会編 文泉堂 1917年)〕。明応9年(1500年土御門天皇が崩御された後、90日経っても大喪儀を執り行えずにいたところ、宗康が六角高頼に諮り費用を献じたと伝えられる〔〔「野洲郡史 下巻」 P575「立入氏」の項(滋賀県野洲郡教育会 1927年)〕。後柏原天皇はこの行いに対して感銘を受け、宗康に菊桐(又は十六弁菊花紋)の紋章を授け、また御倉の管理を委ねたとされる〔〔。宗康は従五位下加賀守に任じられ、以降立入氏は代々禁裏の御倉を預かり禁裏の現金の出納や米穀・衣服などの保管を司ったと伝えられ〔「世界大百科事典」 「立入氏」の項(日立デジタル平凡社 1999年)〕、代々勤皇の志高かく、孫の立入宗継応仁の乱以降荒んだ御料所の回復や、京都御所の修繕を依頼する密勅を持ち織田信長に上洛を促すなど、他の六角家被官諸氏とは異なる動きを示した。
なお立入氏は、六角氏が家臣高瀬氏の一族の者に立入因幡守清直と名乗らせ立入城主としたとする説や、松田秀興を飛騨高山出身とする説〔もあるが、幕府奉公人として記録が残る松田秀興を立入宗康の父と考えた場合、記録されている年代は見合っている。なお、嫡子宗長は、後柏原天皇が即位の大礼を即位後あげられずにいたのに対して三条西實隆と大礼の準備を整えた伝えられる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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