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立川基地グローブマスター機墜落事故(たちかわきちグローブマスターきついらくじこ)とは、1953年(昭和28年)6月18日に東京都立川市の立川基地を飛び立った米軍の大型輸送機グローブマスター(C-124)が、東京都小平町(現・小平市)に墜落し、乗員や米兵など129名全員が死亡した事故である。 また、人類の航空機史上初めて死亡者100名を超えた事故でもあった。 == 事故の概要 == 1953年(昭和28年)6月18日午後4時31分、立川基地からC-124(シリアルナンバー51-0137)が離陸した。日本で休暇を取っていた朝鮮戦争従軍兵士(陸軍と空軍)および乗員ら合計129名が乗っていた。事故当時の気象は雲高1,000フィート、ところどころに雲の切れ間があり、視界は1マイル、小雨模様で少し霧がかかっており、好天とは言えないまでも米軍規則による「雲高250フィート以上、視界0.5マイル以上」の基準はクリアしていた。 離陸後1分後、パイロットから立川基地の管制塔へ「エンジン1発が停止したので基地に戻る」との無線連絡があり、基地では即座に緊急着陸を受け入れる準備を始めた。しかし、無線から2分後の午後4時34分、事故機は東京都小平町(現・小平市)小川1丁目の麦畑に墜落、爆発炎上した。 乗っていた129名全員が死亡し、また現場から100メートルほど離れた場所で農作業をしていた52歳の農夫1名が火傷を負った。現場の地面が深くえぐれていること、機体の破片は120~130メートル四方の極めて狭い範囲内に散乱していること、全員が即死もしくは事故後すぐに死亡していることなどから、事故機は地面に対して垂直に近い角度で突っ込んだと推測された。事故後すぐに、日本の警察、消防、消防団、地元民達が駆けつけたが生存者はなかった。周囲に倒れている米兵のうち息のある者を火災の及ばない場所まで移動させたが、全員がすぐに死亡したという。その後、立川基地や横田基地から来た米軍が現場を封鎖、日本の警察は現場の周りを警備するだけであった。犠牲者や機体の破片は米軍の手により立川基地へ搬送された。 米軍、警察、消防、報道関係等の車両が大量に押し寄せたため、当時は道幅が狭く、所によっては舗装されていなかった青梅街道は大渋滞を起こした。墜落地点には現在、自動車教習所が建っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立川基地グローブマスター機墜落事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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