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立川志らく : ウィキペディア日本語版
立川志らく[たてかわ しらく]
立川 志らく(たてかわ しらく)は、江戸東京落語の名跡。過去に5人前後確認されている。
*次項の志らく(本名、新間一弘)の前に、亭号が立川、翁家、升々亭、など3人ほどいる。
*朝寝坊志らく - 後の柳亭左好。(本名、田中直四郎)6代目朝寝坊むらくの門で名乗る。
*朝寝坊志らく(1880年1月3日 - 没年不明) - 初代三遊亭圓之助(本名、中村代次郎)の実子で最初は4代目橘家圓喬の門で喬生、明治30年代半ばに圓花、40年代に橘家小圓太大正に入り3代目三遊亭圓馬(当時の7代目朝寝坊むらく)の門で志らくとなった。落語の演目「徳ちゃん」はこの人がモデルになっている。(本名、中村徳太郎)。
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立川 志らく(たてかわ しらく、本名・新間 一弘(しんま かずひろ)、男性、1963年8月16日 - )は東京都世田谷区出身の落語家映画評論家映画監督落語立川流ワタナベエンターテインメント(文化人部門)所属。出囃子は『』『花嫁人形』。日本映画監督協会にも所属。現在の妻は女優の酒井莉加
== 来歴・人物 ==
父親がギタリスト、母親が長唄という芸人の家庭で育ち、中学生の頃から落語と映画を好きになる〔『天才たちのDNA』p.174。〕。落語については、小学校高学年の頃から父親が落語好きで家にあった落語の本とレコードで親しみ始めたという〔『天才たちのDNA』pp。175-176.〕。
祖父は昭和の名灸師である深谷伊三郎
東京・日本大学第三高等学校から日本大学芸術学部に進学するも、1985年10月、当時日大4年生の時、高田文夫の紹介で7代目立川談志に入門し、前座名立川志らくを名乗る。大学はその後中退。「志らく」の名はフランス政治家ジャック・シラクにちなむとされる。
日大三高の同窓には、元F1ドライバー片山右京、読売ジャイアンツ2軍内野守備走塁コーチ
福王昭仁らがいる。
1988年3月に二つ目昇進し、1995年11月に真打昇進した。2001年彩の国落語大賞受賞。
1990年代には志らくと兄弟子朝寝坊のらく立川談春立川ボーイズを結成、深夜番組『ヨタロー』に出演するなど活躍。その後真打ち昇進までは古典に打ち込み、真打昇進後はシネマ落語等の分野を開拓。
演目は両親の影響からか、音楽を作曲しながら落語のイメージを固めていくことが多い。
師匠の談志同様、著書で先輩落語家を名指しで批判することが多く、敵が多いといわれている。
1992年、志らくを筆頭とした落語家らで「”超”放送禁止落語界」と題した寄席を開催。皇室罵倒、差別語連発の演目を披露「9月にも開催予定だが、もし無くなったら何者かのクレームにより演者が危急に陥ったと云々」と笑いを取っていたが、会場に居合わせていた部落解放同盟関係者が演目を全て録音、同団体からの糾弾を受ける。〔筒井康隆「断筆」めぐる大論争 創出版 1995年〕
2015年1月から独演会「立川志らく落語大全集」を開始。16年かけて203席を演じる予定。〔志らく落語大全集 特設ページ 〕.
2003年より劇団下町ダニーローズを主宰し、舞台演出家・脚本家としても活動している。2014年現在まで16回の公演を数えている。
映画好きで知られ、1997年に『異常暮色』で映画監督デビュー。映画監督として日本映画監督協会にも所属している。老舗の映画雑誌『キネマ旬報』では、「立川志らくのシネマ徒然草」の連載を持ち、同連載は1996年1999年に「キネマ旬報ベストテン」の読者賞を受賞した。映画関連では他にも、映画専門チャンネルのスターチャンネル2008年から映画解説者の一員となり〔「立川志らくのシネマ徒然草 284」『キネマ旬報』2008年10月下旬号。〕、独演会では映画を落語にした「シネマ落語」などの活動を行っている〔シネマ落語とは 〕。
映画評論でも知られる快楽亭ブラックは、つまらない邦画のベストスリーに、志らく監督作品の『異常暮色』など3作品をランクインさせた。
映画監督の大林宣彦は、志らくの落語や舞台は好きだが、映画については「許せる」という表現をしている〔「立川志らくのシネマ徒然草 275」『キネマ旬報』2008年6月上旬号。〕。
志らくは現在の日本映画界を嘆いており、小津安二郎黒澤明が撮るような重厚な作品が日本映画界の中心にあるべきだと苦言を呈している〔田山力哉『さよなら映画、また近いうちに』キネマ旬報社、1997年、p.159.〕。一方で、黒澤明監督の作品を映画賞をもらってから観始めた北野武については、『菊次郎の夏』『Dolls』を傑作と認めている〔立川志らく『立川志らくの現代映画聖書』講談社、2005年、pp.327,334〕。
「ヨタロー」に一緒に出演していた立川談春とは、入門は後(年齢は談春が3歳下)だが真打昇進は先となった。
爆笑問題のススメ』に志らくが出演した時に、談志が「才能だけなら噺家の中で一番。もちろん才能だけだよ。他はない。あくまでも「だけ」なんだ」とコメントしていた。テレビ「落語のピン」では、「弟子の中でもっとも才能はある」と志らくを認めていた。実際、志らくが二つ目に昇進した時に、末廣亭の席亭などに挨拶に出掛けて、志らくを紹介するなど一貫して評価は高い。
JFN系ラジオ番組『名言3・6・5』に2009年3月末まで10年近く出演していた。またIBC岩手放送ラジオで毎週土曜日に放送されていた「志らくの歌の花道」は2013年6月29日の番組終了まで639回続いた。現在は、文化放送の『くにまるジャパン』に、金曜日のコメンテーターとして月一で出演している。
中日ドラゴンズのファンで上記のくにまるジャパンでは中日ドラゴンズについて語る月がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「立川志らく」の詳細全文を読む



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