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立河原の戦い[たちかわのはら] 立河原の戦い(たちかわのはら(たちがわら)のたたかい)は、1504年11月13日(永正元年9月27日)に武蔵国立河原(現在の東京都立川市)において、上杉顕定・足利政氏らの連合軍と上杉朝良・今川氏親・北条早雲(伊勢宗瑞)らの連合軍との間で行われた合戦である。 長享の乱の事実上の決戦であり、事実それだけの規模に相当する戦いであったが、この戦いに勝利した上杉朝良は結果的に上杉顕定に降伏した。 == 背景 == 享徳の乱を通じて勢力を伸ばした扇谷上杉家と上杉氏の宗家として代々関東管領を継いできた山内上杉家の間で繰り広げられた長享の乱は、勇将として知られた扇谷上杉家当主・上杉定正が健在の頃は互角の戦いを続けてきたが、定正の死後には山内上杉家当主・上杉顕定の反撃と第三勢力であった古河公方足利政氏と顕定の同盟によって扇谷上杉家は苦境に立たされるようになった。 扇谷上杉家の新当主となった定正の甥・朝良は駿河守護・今川氏の客将で当主・氏親の後見人的存在であった北条早雲に相模西部の中心である小田原城を譲ってその軍事支援を頼み、北条・今川軍の支援を受けられるようになった朝良は再び勢力を回復して戦況は一進一退を繰り返すようになった。顕定は明応6年(1497年)に武蔵国上戸(現在の埼玉県川越市)に拠点(河越築城前にあった河越館を再興したと言われている)を構えて扇谷上杉家の拠点河越城の攻撃の準備を進めるが、攻略に悉く失敗したため、以後7年近くも入間川を挟んだこの地に釘付けとされる事になった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立河原の戦い」の詳細全文を読む
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