|
立田輪中(たつたわじゅう)は、愛知県西部の木曽川下流部にあった輪中。 == 地理 == 現在の愛知県愛西市の八開地区西部及び立田地区の大部分が該当し、東西約2キロメートル、南北約12キロメートルの細長い地形をしていた〔立田村史 通史、P.359〕。 北側は間ノ川を挟んで中島郡の神明津輪中(現・稲沢市祖父江町神明津)と面し、西は木曽川、東は佐屋川に挟まれ、南側は木曽川を挟んで長島輪中(現・三重県桑名市)と面していたが、間ノ川は江戸時代後期の文政7年(1724年)から文政9年にかけて締め切られたため神明津輪中とは地続きになり〔八開村史 通史編、P.250〕、明治時代に行われた木曽三川分流工事に伴う佐屋川の廃川により地続きとなるなど、現在ではその面影は無い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立田輪中」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|