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立石 充男(たていし みつお、1957年12月6日〔『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P125。〕 - )は、大阪府和泉市出身の元プロ野球選手〔、プロ野球指導者。 == 来歴・人物 == 初芝高等学校(現・初芝立命館中学校・高等学校)在学中の1975年に選抜高等学校野球大会に出場。その年のドラフト3位で、南海ホークスに入団〔。内野ならどのポジションでもこなすマルチプレイヤー。〔 パ・リーグ初の背番号0を背負った。〔週刊ベースボール2014年1月20日号、P93。〕1984年には三塁手のレギュラーを獲得し、好成績を収めた。 1985年オフに結婚〔。1986年に現役を引退した。 引退後は、南海・ダイエー、中日ドラゴンズ、台湾プロ野球・和信ホエールズ、大阪近鉄バファローズの各チームで、守備・走塁コーチを務めた。 2005年から阪神タイガース2軍野手総合兼打撃コーチ。 2006年には、シーズン途中から胃潰瘍で長期入院した島野育夫に代わり、二軍監督代行を務めた(シーズン終了後、平田勝男が正式に二軍監督就任した)。 2010年から2012年までは育成チーフコーチを務めた。 2014年から台湾・統一セブンイレブン・ライオンズのヘッドコーチに就任し〔、同年限りで退団。 2015年から韓国プロ野球・ハンファ・イーグルスの二軍作戦・守備コーチに就任、2014年秋季沖縄キャンプよりチームに参加。2015年10月8日に来季の契約を結ばないことが明らかになった〔西本、立石コーチらハンファを退団 デイリースポーツ2015年10月8日配信〕。10月13日に2016年から東北楽天ゴールデンイーグルス二軍内野守備走塁コーチに就任することが発表された〔新任コーチに関して 楽天公式サイト2015年10月13日配信〕。 コーチ業、連続25年以上となる。信頼度と指導力も超ベテランの指導者である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立石充男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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