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立花家花橘 : ウィキペディア日本語版
立花家花橘[たちばなや かきつ]
立花家 花橘(たちばなや かきつ)は、音曲落語名跡。現在は空き名跡となっている。
古くは立花家ではなく七昇亭花橘や三遊亭花橘で2代続いた。
「立花家」の亭号は、もともと色物の音曲師のものであるが、後には落語家も名乗るようになった。
2008年秋に3代目三遊亭圓歌門下の三遊亭あし歌三遊亭歌橘を3代目として襲名した。
== 初代 ==
初代 立花家花橘1881年2月 - 1906年9月16日)は、本名: 加藤よね。女流音曲師。初代春風亭柳條は実父。享年25。
1884年1885年の数えで4、5歳の時に子役で柳家枝女子(あるいは〆子)を名乗り柳派の寄席の高座に上がっていた。明治20年代半ばには下谷芸者をしていたが、1896年正月から立花家橘之助の門下になり立花家花橘と改名し三遊派の寄席に出演。音曲(端唄都都逸義太夫大津絵節など)手りの花形として活躍したが、若くして亡くなった。遺児は春風亭柳橘
萬朝報1906年9月19日付の訃報によれば、同年同月17日没、享年33とあるが、この享年は恐らく誤り。6代目林家正蔵『墓誌(技芸士招魂録)』によれば、同年同月16日没、享年26とある(この享年は数え年)。墓所は浅草源空寺元麻布光善寺の2説ある。法名: 賢譽妙惠信女。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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