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立花 種吉(たちばな たねよし)は、江戸時代前期の旗本。立花甲斐守家の祖。戦国武将立花直次の次男。 == 生涯 == 慶長13年(1608年)、浪人宗卜(直次)の子として誕生。直次は後に徳川秀忠に召し抱えられて旗本となり、兄弟に三池藩初代藩主となった種次や、伯父宗茂の養嗣子となり柳河藩第2代藩主なった忠茂などがいる。 幼名は松千代丸、長じて通称与兵衛と呼ばれた。正室は旗本野一色義重の娘。 元和9年(1623年)11月、大御所秀忠と将軍家光に初めて拝謁し、小姓組に列して慶米500俵(500石の知行と同じ)を与えられた。 寛永7年(1630年)12月29日、従五位下・甲斐守に叙任される。書院番に移る。寛永10年(1633年)2月7日、200石を加増され、合計700石となったことから、相模国大住郡内に石高700石分の知行地を貰う。 正保2年(1645年)9月19日、死去。享年38。法名は宗岐。下谷広徳寺に葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立花種吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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