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立花 種次(たちばな たねつぐ)は、江戸時代初期の旗本、大名。筑後三池藩の初代藩主。 ==略歴== 立花直次の長男として、慶長9年(1604年)8月に生まれた。高橋紹運は祖父。立花宗茂は伯父で、宗茂の養嗣子忠茂は実弟にあたる。 元和3年(1617年)、父の死去により家督を継いで、5月3日、将軍徳川秀忠に初めて拝謁し、11月に常陸国柿岡藩5,000石の遺領の継承を許された。 元和7年(1621年)1月10日、5,000石を加増されて合計1万石とされた上に、父の旧領である筑後国三池郡のうち1万石に移封された。これが三池藩となる。 元和8年(1622年)8月6日、父と同じ従五位下に叙された。 寛永3年(1626年)、後水尾天皇の二条城行幸のために徳川家光が上洛したのに従い、参内の供奉を務めた。 移封当初は宗茂の居城である柳川城下に屋敷を構えていたが、寛永4年(1627年)、三池郡内に陣屋を築き、これに移った。 寛永7年(1630年)3月29日に死去した。享年27。跡を長男の種長が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立花種次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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