|
立襟(たてえり、たちえり、)は、折返らずに立った仕立て方の襟の総称〔田中〕。「立て襟」とも書く。 前あわせをホックやボタンで留めたり、形を整えるための芯材(通称カラー)が入るものもり、同様の折襟とともに「詰襟」と呼ばれる。 == 沿革・使用例 == *古くは北アジアの遊牧・騎馬諸民族の衣服に立襟が広く用いられていたが(モンゴルの民族衣装や旗袍はこの系統である)、世界各国の服飾に広く立襟が導入されたのは、近代国家の根幹を成す制度や組織の制服(軍服や学生服等)で採用されていったためである。 *戦国時代~江戸初期の日本では、南蛮貿易を通じて、主としてマカオ・マニラ経由でヨーロッパ人(特にポルトガル・スペイン人)の衣服が持ち込まれ、帽子、マント、襞襟の肌着などのいわゆる「南蛮装束」が流行した。特に当時作られた陣羽織のなかには、襟部分にヨーロッパの影響を受けた立襟の仕立てをおこなっている事例がある(素材も「ラシャ」等外来のものが用いられている場合もある)。 *世界各国の軍服(陸軍)の上着は、19世紀までは立て襟が主流であったが、20世紀に入り、勤務服・戦闘服は折襟、ついで開襟ネクタイ式の仕立てが一般的となり、現在は主に礼服に用いられている。一方、世界各国の海軍の夏用勤務服には、現在でも白い生地の立て襟の上着を用いる場合が多い(日本の海上自衛隊を含む)。 *現在は折襟仕立てが主流であるワイシャツも19世紀~20世紀初頭までは立襟が主流であり、明治時代の日本において「ハイカラ」の語源となった。 *日本の学生服のうち、中学・高校生の男子冬用制服には長らく黒生地・5つボタンの立て襟の上着・ズボンの上下がもっとも一般的に用いられ、単に「学生服」といえばこのタイプの服を指したほどであったが、近年立襟・折襟の制服はブレザータイプのものに変更される傾向にある。なお、学習院など一部の男子制服は立襟で、前あわせをホックで留める旧海軍式である。また、防衛大学校学生の制服は立襟で、前あわせをボタンではなくジッパーで止める独特の仕立てとなっている。私立を中心とする一部の中学・高校の男子制服にもこのようなものが見られる。 *現在インドにおいては立襟の上着が男子用正装として用いられている。en:Nehru_jacket *立襟仕立ての上着を別名「マオカラー」と呼ぶのは毛沢東(Mao Zedong)にちなんでいるが、彼をはじめ中国で着用された「人民服」は実際には折襟仕立てである。 *現在活躍中の著名人では、料理研究家の服部幸應や政治家の羽田孜、芸人の毒蝮三太夫〔ファッションの流行や祝儀不祝儀のTPOにも関係なく、急な訃報で駆け付けた際にも親族から失礼と思われないので、普段着にしていれば背広も礼服も不要で便利だという理由。〕が立襟タイプのマオカラースーツを好んで着用している。 *米陸軍が採用しているACU迷彩服は装備の着脱を容易にするため、立襟状になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立襟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|