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章穆皇后(しょうぼくこうごう、976年 - 1007年5月11日)は、北宋の第3代皇帝真宗の皇后。姓は郭氏。 == 経歴 == 太原の人。宣徽南院使の郭守文と妻の梁氏の娘として生まれた。淳化2年(991年)、韓王趙恒(のちの真宗)にとつぎ、後妻となって魯国夫人に封ぜられた。(のちの悼献太子)を産み、至道2年(996年)に秦国夫人に進んだ。真宗が即位すると、皇后となった。節倹を尊び、郭家の者たちに対して厳しく接した。 趙祐は9歳で死去した。郭皇后は悲嘆にくれて体を壊し、景徳4年4月16日(1007年5月11日、半影月偏食だった)に亡くなった。真宗は深く哀悼した。「荘穆」と諡され、慶暦4年(1044年)11月、夫の諡を重ねて「章穆」と改諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「章穆皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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