翻訳と辞書
Words near each other
・ 童増
・ 童声合唱
・ 童夢
・ 童夢 (アニメ会社)
・ 童夢 (アニメ制作会社)
・ 童夢 (ムーディー・ブルースのアルバム)
・ 童夢 (漫画)
・ 童夢 (童子-Tのアルバム)
・ 童夢 (自動車会社)
・ 童夢 F105
童夢-零
・ 童夢くん
・ 童夢・84C
・ 童夢・84C/トヨタ
・ 童夢・85C
・ 童夢・F101
・ 童夢・F105
・ 童夢・RC-83
・ 童夢・RC-83/フォード
・ 童夢・S101


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

童夢-零 : ウィキペディア日本語版
童夢-零[どうむ ぜろ]

童夢-零(ドウム・ゼロ)は、日本の自動車会社童夢が試作したミッドシップスポーツカーである。1978年の第48回ジュネーヴ・モーターショーで初公開された。本項では追加試作型の童夢P-2についても説明する。
== 概要 ==

=== 開発の経緯 ===
1960年代に京都府でレーシングカー・コンストラクター「マクランサ」を営んでいた林みのるがスポーツカー製造計画を立ち上げ、1975年に林の自宅で開発プロジェクトがスタートした。林の従兄弟である林将一が経営するハヤシレーシングホイール商品がヒットしたことから、プロジェクトの準備資金が投資された〔『昭和40年男 Vol.22』、29頁。〕。
当時のレース界は海外製マシンの寡占により国産コンストラクターの多くが挫折し始めていた時期だったため、日本のレース界を代表するメンバーが参加した。ボディデザインは林みのると由良拓也(ムーンクラフト代表)、モノコック三村建治(現エムアイエムデザイン代表)、サスペンション小野昌朗(現東京アールアンドデー代表)が設計を担当した(三村と小野はマキコジマのF1プロジェクトを経て合流)。
1976年ごろからスタイリングの研究が始められたが、このころから作業の中心は大阪府のハヤシレーシングの工場に移った。集まったスタッフは大阪の工場街にアパートを借りるも、家に帰るのは風呂に入りに帰る時のみというようなハードスケジュールで開発を進め、開発を開始した当初は4人いた既婚者全員が妻に逃げられたという。ボディの加工作業では、FRP特有の臭いをガス漏れと勘違いされ、近隣が一騒動になった〔『昭和40年男 2013年12月号』、30頁。〕。
製作開始から1年3ヶ月ほどをかけ、1978年初頭に試作車(プロトタイプ)童夢ー零が完成し、林みのるが代表を務める童夢が設立された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「童夢-零」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.