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童子丸(どうじまる、1977年11月8日 - )は、日本の元キックボクサー。宮崎県出身。身長168cm、体重59kg。キングジム所属。元NJKFバンタム級1位。 旧リングネーム:押川童子丸 == 来歴 == 1977年、宮崎県西都市にて出生。5歳の頃より「王統流少林寺会館空手」宮崎県西都市支部長を務める父の下で空手を始める。 1998年、上京。かつて父の門下生であった同じ西都市出身の向山鉄也会長が営むキングジムに入門。 1998年10月25日、キックボクシングプロライセンス取得。 1999年1月24日、ニュージャパンキックボクシング連盟興行でプロデビュー。木村昭教に1R1分18秒KO勝ち。 1999年、デビュー以来3勝1分け3KOで1999年度NJKF新人賞に選出された。 2000年7月14日、タイ武者修行を決行。サムローンスタジアムで初の海外試合を行い1RKO勝利。翌8月13日ラジャダムナン・スタジアムでのDen chai戦も1RKO勝利。 2000年9月24日、佐藤友則戦にて試合開始前、発作性頻脈によるドクターストップ。不戦敗により8戦目にして初黒星となった。 2001年5月25日、佐藤友則戦。1R序盤にハイキックでダウンを奪うもヒジによるカットでドクターストップ。TKO負けとなった。 2004年1月18日、アーリー・イングラムジム戦5RKO勝利。この試合をベストバウトに上げるファンは多く、5R開始直後に見せた中段の後ろ回し蹴りは一部ファンの間で「童子丸キック」と呼ばれている。 2004年5月2日、現タイ国プロムエタイ協会フライ級王者で現ルンピニーフライ級5位、元ルンピニーJrフライ&フライ級王者と2階級制した強豪ダーオプラスック・シットパーファーと対戦。2Rダーオプラスックのヒジ撃ち、縦ヒジとヒジの乱れ撃ちに苦しむも、3R開始直後、童子丸の右ヒジがダーオプラスックの左目上部にヒット。激しい出血によりドクターストップ。ムエタイ現役王者相手に壮絶な肘の打ち合いを制した。 2005年3月12日、ラジャダムナン1位、タヌーチャイに3-0で判定勝利。この日の対戦相手のタヌーチャイ・ポーンブンミーは童子丸との対戦カードが組まれた時点でラジャダムナン・ランキング2位であったが、童子丸戦決定後にタイでの試合で勝利しランキングを1位に上げて来日した。この事実を童子丸は試合当日リング上でリングアナウンサーのコールによって知り「タイ人のランカーは1位でも2位でも同じ怪物、ビビったけど開き直れた」と後に語っている。 2005年7月23日、現ラジャダムナン王者&現WMC王者、タップナー・シットロムサイと対戦し左ストレートにより3ノックダウン、1RKO負けを喫した。この試合で眼窩骨折、鼻篩骨骨折、眼球上斜筋麻痺の大怪我を負った。試合後も復帰の意思は固かったが長期に及ぶ怪我の治療により事実上戦線離脱となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「童子丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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