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竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1985年8月12日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 == 来歴・人物 == 兵庫県立西宮高等学校を卒業後、に広島カープへ入団。 3年目のに公式戦初出場を果たすも、田中尊らの壁に阻まれて出場機会には恵まれず、オフに24歳の若さで現役を引退した。 その後は三菱電機グループである指月電機製作所に転職し、同社の北関東営業所に配属されたため群馬県に在住していた。 だが、1985年8月12日午後に発生した日本航空123便墜落事故に巻き込まれ、47歳の若さで急逝した〔東農大二OB竹下さん、母校の甲子園出場を報告 〕。 第67回全国高等学校野球選手権大会の群馬県代表となった、東京農業大学第二高等学校野球部に在籍する高2の息子・政宏(まさひろ)の応援で阪神甲子園球場へ向かうためJAL123便に搭乗していた。 結果的に地元の群馬県で犠牲になったが、この事故便に搭乗していた群馬県民(事故発生時点)は竹下1人だけであった〔1985年8月24日付・読売新聞夕刊7面より。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹下元章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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