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竹下 幸之介(たけした こうのすけ、1995年5月29日 - )は、DDTプロレスリング所属の男性プロレスラー。日本体育大学在学中、大阪府大阪市出身。身長187cm、体重90kg。芸能マネージメント事務所はオスカープロモーション〔日体大入学の竹下が早大陸上同好会入り - 2014年6月11日デイリースポーツ〕。DDTの未来を担う若き逸材である〔「レスラーヒューマンストーリー第205回 竹下幸之介」、『週刊プロレス』No.1750、ベースボール・マガジン社、平成26年8月13日号(7月30日発行)、79-82頁、2014年。〕。 == 経歴 == === デビュー前 === 焼鳥屋の父親はアントニオ猪木のファンで、竹下が2歳のころから父とプロレスのビデオを見ていた〔。当時はFMWのハヤブサのファンで、初めて生で見たのは幼稚園の時の大阪プロレスだった〔。レンタルビデオを何本も借りてくるので、竹下の両親はサムライTVに加入し、家に引きこもってプロレスを見続ける〔。2004年2月6日、小学2年生の時、WWE大阪城ホール大会のメインイベント、クリス・ベノワvsトリプルHの世界ヘビー級選手権試合を見て、いつかベノワと戦いたいとプロレスラーになることを決意する〔。 大阪プロレスでプロレス教室をしていることを知り、子どもの部だけではなく、大人の部にも参加した〔。大人の部でも勝つことがあるほど強かったことから、当時先生だったタイガースマスクに日本一のアマチュアレスリングクラブである吹田市民レスリング教室を紹介され、そちらにも参加した〔。 小学生の時、プロレスラーになりたいと各団体に履歴書を送る。唯一DDTの高木三四郎大社長のみがモバゲーで返事をし、中学卒業後の再応募を促した〔。 公立の中高一貫校に合格し、レスリング部がなかったことから陸上部に入ってのめりこむ〔。この頃はプロレスを全然見なかったが、中3の時の全国予選大会で四種競技にエントリーした竹下は初日終了後、久しぶりにテレビで見たベスト・オブ・ザ・スーパージュニアの決勝戦(2010年6月13日)、プリンス・デヴィットvs飯伏幸太を見て衝撃を受ける〔。6月19日、2日目の大会で全国大会出場を決めた足で大阪府立体育会館のDOMINIONを観戦してプロレスへの情熱が再燃〔。かつて唯一返事が来たDDTへ翌日履歴書を送付し、8月15日、名古屋大会(今池ガスホール)でテストを受け合格〔。竹下は中学卒業後、すぐに東京へ行くつもりだったが、高木は両親と相談し、高校への進学を勧めた〔。竹下は陸上全国大会の四種競技の優勝候補だったが、最終種目で反則を犯して3位に終わったことを後悔し、高校進学を決意〔。 高校に入ってからは、DDTの大阪大会や夏休みに練習に参加。2012年4月1日、DDT後楽園ホール大会のリング上で8月18日の日本武道館大会でデビューすることが発表された〔。7月8日、DDT淀川区民センター大会で石井慧介と公開スパーリング。その直後、対戦相手がエル・ジェネリコである事を鶴見亜門GMより告げられた。 8月4日、DDT新木場1stRING大会で福田洋と公開スパーリング。当時アイアンマンヘビーメタル級王者であった福田にウォール・オブ・タケシタで勝利し、デビュー前にして第952代アイアンマンヘビーメタル級王座を奪取した。ただし、すぐに奪回された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹下幸之介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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