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竹原春朝斎 : ウィキペディア日本語版
竹原春朝斎[たけはら しゅんちょうさい]
竹原 春朝斎(たけはら しゅんちょうさい、生年不詳 - 寛政12年〈1800年〉)とは、江戸時代中期の大坂浮世絵師
== 来歴 ==
大岡春卜坂本朝汐斎の門人(安永版『難波丸綱目 』)。姓は竹原、本姓は松本、名は信繁。俗称は門次。春朝斎と号す。伏見屋四郎兵衛町に住んでいた。明和から寛政期に活躍しており、名所図会の絵師としてよく知られている。
明和5年(1768年)刊で増谷(升屋)自楽作の浮世草子『加古川本草綱目』5巻5冊の挿絵を皮切りに、明和6年(1769年)頃刊行の『上難波宮祭礼行列記』、半井金陵作『世間化物質気』など、大阪の版元升屋大蔵(彦太郎)の画工を務める。狂歌本の例としては、安永6年(1777年)刊行の絵入り本『狂歌寝さめの花 』一冊(芥河貞佐・玉雲斎貞右編)があげられる。
安永7年(1778年)に刊行された『浪花のながめ 』(白緑斎梅好作)は大坂名所、旧跡、名物案内の図に「俗に近き異物」を選び、簡潔な説明や狂歌を添えて三十三景を描く。その絵は柔和な人物・風俗描写と写実的な風景画からなるもので、後の名所図会の先駆をなす重要な作である。更に2年後の安永9年(1780年)、秋里籬島とコンビを組み『都名所図会 』を発表、本格的な風景版画の領域を開拓し、非常な人気を博した。以降もこのコンビで、天明7年(1787年)刊行の『拾遺都名所図会 』、寛政3年(1791年)刊の『大和名所図会』、寛政8年(1796年)の『和泉名所図会 』、寛政9年(1797年)『東海道名所図会』(北尾政美らと合作)、寛政8年と10年(1796年1798年)『摂津名所図会』など続々と出版している。
名所図会の他にも浮世草子や狂歌本などに幅広く挿絵を描き、天明5年(1785年)刊行の高田政度作の往来物『大成百人女用袋』一冊や、寛政4年(1792年)刊行の自画作の咄本『あくびどめ』3冊などがある。寛政末年に没したかとされる。
門人に春朝斎の子の竹原春泉斎がいる。上方発生の風景画は従来過小評価されがちであるが、春朝斎は名所図会が流行する端緒を作り、それが後に江戸へも普及して谷文晁の『日本名産図会』などを生み、さらに北斎広重らが出現する土壌を作り上げたといえる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「竹原春朝斎」の詳細全文を読む



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