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竹田王(たけだおう、生年不詳 - 和銅8年3月15日(715年4月22日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。敏達天皇の曾孫で、百済王の子とする系図がある。官位は従四位上・刑部卿。 == 経歴 == 天武天皇10年(681年)天武天皇の命令により、川島皇子・忍壁皇子らとともに『帝紀』や上古諸事(『旧辞』)の校定に参画〔『日本書紀』天武天皇10年3月17日条〕。天武天皇14年(685年)宮処王らと京や畿内に派遣されて武器を検閲した〔『日本書紀』天武天皇14年9月11日条〕。持統天皇3年(689年)判事、和銅元年(708年)刑部卿を歴任する。和銅8年(715年)3月15日卒去。最終官位は散位従四位上。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹田王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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