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竹谷靱負 : ウィキペディア日本語版
竹谷靱負[たけや ゆきえ]
竹谷靱負(靭負)(たけや ゆきえ、本名:竹谷誠(たけや まこと)〔名峰世界へ:御師「竹谷」の末裔、富士は「登拝」心の山 富士山文化研究会会長・竹谷靱負さん/山梨 毎日新聞山梨版 2013年6月27日〕、1941年11月2日 - )は、拓殖大学名誉教授〔拓殖大学(拓殖大学関連の刊行物紹介『日本人は、なぜ富士山が好きか』 竹谷靱負(拓殖大学名誉教授)著) (2013年6月20日閲覧)〕、富士山文化研究家、元教育情報工学者〔。理学博士〔。富士山文化研究会会長〔、富士学会理事〔富士学会(役員) (2013年6月20日閲覧)〕などを務める。東京都武蔵野市吉祥寺出身。
==来歴・人物==
1941年11月2日、富士山北口の御師山梨県富士吉田市)である竹谷家の長子として誕生。父親は出生前に出征、戦死、母親の生家である東京・武蔵野市で育つ〔。
成蹊高等学校を卒業後、早稲田大学理工学部応用物理学科に入学、1967年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了、同年より日本電気株式会社(NEC)中央研究所勤務。同社在職中の1981年に理学博士(応用物理専攻)となり、1987年より拓殖大学工学部情報工学科助教授、1991年同大教授。2009年同大名誉教授、富士山の文化研究、富士山学専門家の第一人者〔【書評】『富士山文化 その信仰遺跡を歩く』竹谷靱負(ゆきえ)著 産経新聞 2013年7月7日〕である。
専門研究分野は教育情報工学で、研究課題は教育情報の構造分析法(認知マップテストによる理解度評価法の研究他)、インターネット利用の学習環境の構築(バーチャルスクールの研究他)。
また、富士山御師の家系であることから、富士山学、富士山文化、富士信仰富士講富士塚など)に関する研究にも取り組んでいる。富士山に関する書籍を多数執筆。
ペンネームである竹谷靱負は、富士山北口(山梨県富士吉田市上吉田)に、戦国期より約四百年続く富士山北口御師である竹谷家の世襲名である〔。
二男一女の父親で、長男である竹谷六未(睦)は北口本宮冨士浅間神社(国の重要文化財世界文化遺産構成資産)の元神職(権禰宜)であり、現在はフィリピン共和国・セブにてリゾートホテル、ダイビングショップ経営〔エメラルドグリーン・ダイビングセンター(フィリピン・セブにある日本人経営のダイビングショップ) (2013年7月10日閲覧)〕。
御師 旧外川家住宅(国の重要文化財/世界文化遺産構成資産)〔富士吉田市歴史民族博物館(御師 旧外川家住宅(重要文化財/世界文化遺産構成資産)) (2013年7月10日閲覧)〕にて代々御師を営み、平成14年まで居宅としていた外川家とは親戚であり、最後の当主・外川文俊は従弟にあたる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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