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真宗大谷派竹鼻別院(しんしゅうおおたにはたけはなべついん)は、岐阜県羽島市にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。 == 沿革 == 嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国より帰京する際に三河国に立ち寄り、住民に説法していることを聞いた尾張国葉栗郡門間庄〔尾張国葉栗郡門間庄…現在の岐阜県羽島郡笠松町。〕の住人9名(後の河野九門徒)が帰依し、尾張国葉栗郡木瀬〔尾張国葉栗郡木瀬…現在の岐阜県羽島郡岐南町。〕に草庵を建立したのが始まりとされる。 文明2年(1470年)、蓮如がこの地を訪れた際、この草庵を再興。新加納〔新加納…現在の各務原市。〕に移転し「河野御坊」と名づける。当時、この地域〔この地域…現在の岐阜県羽島郡、各務原市付近。〕では、浄土真宗に改宗した寺院が多く、蓮如の足跡が多く残されている。 慶長9年(1604年)、教如により新加納から美濃国羽栗郡竹ヶ鼻村に移転し、時期は不明だが「専福寺」に改称している。尚、河野御坊の一部は中屋(現各務原市)に移転し、河野西入坊となっている。 宝暦10年(1760年)、現在地に移転する。 文政5年(1822年)、本堂を再建する。 明治19年(1886年)、竹鼻別院と改称する。 明治24年(1891年)10月28日、濃尾地震で罹災し、堂宇が倒壊する。仮本堂を建立する。 大正11年(1922年)、再建される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真宗大谷派竹鼻別院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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