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竺法護[じく ほうご]
竺法護(じく ほうご、Dharmaraksa、239年 - 316年)は、西晋時代に活躍した西域僧で、鳩摩羅什以前に多くの漢訳経典にたずさわった代表的な訳経僧である〔高崎直道/木村清孝(編集)「シリーズ・東アジア仏教第1巻 東アジア仏教とは何か」 1995年 春秋社〕。 別に敦煌菩薩、月氏(または月支)菩薩、竺曇摩羅刹とも称された。 == 生涯 == 敦煌(甘粛省)の月氏(中央アジアの民族)家系に生まれ、信奉な仏教徒であった〔山折哲雄「仏教用語の基礎知識」 2000年 角川書店〕。 8歳で出家し、竺高座を師としたため、「竺」姓を名乗るようになった。経典の研究に専心し、方等経典が西域にあるのを聞き、師とともに西域へ遊方の旅に出た。その遊行の間に、36ヵ国の西域言語に通暁するようになった。その後、梵夾を中国に将来した。 当時の人たちは、竺法護のことを尊称して、「敦煌菩薩」と呼んだと伝えられる。「出三蔵記集」にも、経典が中華に具通したのは、ひとえに竺法護の力によるものである、という評価を下している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竺法護」の詳細全文を読む
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