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笠原忠造[かさはら ちゅうぞう]
笠原 忠造(かさはら ちゅうぞう、1878年(明治11年)10月7日〔『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。〕 - 1926年(大正15年)11月12日〔『官報』第4270号、大正15年11月16日。〕)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 ==経歴== 長野県長野市に、薬種商を営む笠原十兵衛の長男として生まれる〔『人事興信録』〕。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、長野市に弁護士事務所を開いた〔。弁護士業のかたわら、長野市会議員、同議長、長野県会議員、同議長を務めた〔『衆議院議員略歴』〕。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第15回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。 その他に、田川炭鉱株式会社常務取締役、京浜電力常務取締役、帝国石膏株式会社取締役を務めた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笠原忠造」の詳細全文を読む
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