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笠原栄一[かさはら えいいち]
笠原 栄一(かさはら えいいち、1966年6月11日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の元プロ野球選手(投手)。元読売ジャイアンツ投手の笠原将生、福岡ソフトバンクホークスの笠原大芽は実子。 == 来歴・人物 == 群馬県立佐波農業高等学校(現・群馬県立伊勢崎興陽高等学校)から1984年にドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名を受け入団。中央球界でも無名の選手のドラフト1位指名は当時話題となった。長身から投げ下ろされる140km/hを超える速球で高校1年秋の西邑楽高校戦では1試合21奪三振を記録したその素質に球団は大いに期待を寄せ、往年の名投手でロッテの監督も務めた金田正一の背番号34が与えられた。 2年目の1986年のシーズン最終盤になった10月18日に先発で一軍初登板を果たすが、4回途中3失点で敗戦投手になった。このときは翌日も先発して3回途中2失点でまたも負けが付き、2日連続で先発して敗戦投手になるという珍しい記録を残した。その後もたびたびチャンスは与えられるが制球難のため一軍には定着できなかった。に金田が監督復帰したのに伴い背番号は41に変更になり、11月には福岡ダイエーホークスに金銭トレードで移籍する。 ダイエー時代にはロッテ時代の先輩でもある投手コーチの村田兆治がの日刊スポーツ選手名鑑で「大輪の遅咲き」を予言することもあったが、その年限りで戦力外通告を受け引退。12年間の現役生活で結局1勝もできず、ドラフト1位としては11年間で未勝利に終わった大場隆広を抜いてプロ野球記録となった。引退後は福岡市内のローソンでオーナーとして勤務している。 なお、息子の将生は2008年のドラフト会議で巨人に指名されて入団し4年目のに一軍初昇格。5月3日の広島東洋カープ戦で初先発しプロ野球史上初の親子先発を果たした際には観客席で見守る栄一の姿が映し出された。この試合では4回3失点で降板したが、2度目の先発となった同年9月12日の広島戦で栄一が成し遂げられなかったプロ初勝利を挙げている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笠原栄一」の詳細全文を読む
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