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笠木 透(かさぎ とおる、1937年 - 2014年12月22日)は岐阜県恵那市生まれのフォークシンガー。 ==人物== 1937年、岐阜県恵那郡岩村町(現・恵那市)に生まれる。岐阜大学卒業後、教員、出版社勤務を経てフリーのフォークシンガーに。1969年から1971年の3回にわたり中津川労音の事務局長として中津川フォークジャンボリーの企画・運営に携わる。 その後、フィールド・フォークを提唱し、テレビ出演などのマスメディアにほとんど頼らない活動を続けて、小さな町や村など全国津々浦々でコンサートを行っていた。 1971年、「我夢土下座」(カムトゲザ、COME TOGETHER)を結成。1985年、坂庭省悟、安達元彦、進藤了彦、赤木一孝らと「フォークス」を結成(後に松崎博彦が参加)し、リーダーをつとめる。フォークス解散後ソロとして活躍する一方、F・F・C(フィールド・フォーク・カルチャー)ユニオンを結成。その後、1994年、増田康記、岩田健三郎、岩田美樹、安川誠、山本忠生らと「雑花塾」を結成、上田達生(山口)、佐藤せいごう(茨城)、北嶋誠(茨城)、鈴木幹夫(長野)、尾崎ツトム(岡山)などのメンバーとともに全国各地で精力的に活動を続けていた。「私の子どもたちへ」「あなたが夜明けを告げる子どもたち」「私に人生といえるものがあるなら」「わが大地のうた」などオリジナルは800曲を超える。 2005年の春に、「憲法フォークジャンボリー制作 連根の会」を立ち上げ、全国各地での憲法フォークジャンボリーの開催を呼びかけている。 また、KBS(京都放送)、東海ラジオ、岐阜放送のDJ、パーソナリティーなどをつとめた。 2014年12月22日、直腸癌のため死去〔笠木透さん死去 中津川のフォークジャンボリー企画 朝日新聞 2014年12月24日〕〔野外フェス生みの親、笠木透さん死去 「中津川フォークジャンボリー」 産経WEST 2014年12月24日〕。77歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笠木透」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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