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笠浩二 : ウィキペディア日本語版
りゅうこうじ

りゅうこうじ(本名:笠 浩二〈読み同じ〉、1962年11月8日 - )は、日本のミュージシャンドラマー。身長165cm。
1980年代に活躍したC-C-Bのメンバーであり、代表曲「Romanticが止まらない」のメインボーカルを務めた。熊本県南阿蘇村に移住し、九州を拠点として音楽活動を行っている。
==人物==

*福岡県田川市出身、東京都足立区育ち〔C-C-B現役時代は東京都江東区出身というプロフィールであった。〕。二人兄弟の長男。
*トレードマークの一つとなっている眼鏡はレンズのない「ダテ眼鏡」だが、眼鏡をかけた顔が有名になってしまい、仕事の時には外せなくなってしまったという。私生活では基本的に眼鏡をかけない。視力は歳相応に老眼の兆候がある程度。
*ドラムを始めたきっかけは、中学時代の先輩である伊藤真視のドラム演奏をする姿に憧れたため。のちに、伊藤が在籍していたアマチュアバンドを脱退するにあたり後任のドラマーとして推薦され加入。同バンドには渡辺英樹田口智治が在籍していた。その後、いくつかのコンテストに出場しベストドラマー賞を獲得することもあった。この頃からプロのドラマーを志すようになる。
*高校在学中に自分用のドラムセットが欲しくなり、購入資金の半分ほどは親から援助を受け、残りはアルバイトをして稼ぎようやく入手した。
*C-C-B解散後は、ソロとして活動。CDリリース第一弾として、C-C-B時代にコンサートで好評だった「30センチでつかまえて」を発表(UCCコーヒーCMソングに採用)。
*幼少の頃より小児喘息の既往がある。C-C-B時代には不規則な生活とストレスなどから十二指腸潰瘍を発症し手術を受けるなど、たびたび健康を害していたことも知られている。20代後半には過度のストレスから体調を崩し、気分障害を発症。摂食障害胃潰瘍脚気などになったこともある。ドラムを叩くことも困難となったためライブをメインとしていた音楽活動を休止せざるを得なかった。コンピュータ専門学校講師や通信カラオケの監修・プログラマーをしていた。
:また、この頃に離婚をしている。
*両親の出身地である熊本県への転居をしてからは、同地で音楽活動を続けるかたわら、米、イチゴ、トマト栽培などの農業に従事していた。スローライフを軸とし、家族や自身の健康の兼ね合いを考慮しつつ、音楽の仕事が入るとその都度ライブハウスなどに出向き演奏するという生活パターンを確立した。最近ではテレビ出演等のマネジメントはヒロセプロジェクトに委託している。現在は農業の仕事はしていない。
*現在は通常のドラムが中心で、電子ドラムはあまり使用しなくなった。
*2008年、渡辺英樹関口誠人と共にC-C-B名義で再活動する旨を発表した(音楽活動は洋楽カバーアルバム1枚のリリースと、数本のライブを行ったのみ。いくつかのバラエティ番組に出演したが音楽番組出演は皆無であった)。2009年、活動を凍結(『C-C-B#その他』項を参照)。
*1980年代の邦楽を特集した番組などにゲストとして招かれる機会がある。また、「あの人は今!?」のような主旨のバラエティ番組において、C-C-B時代の思い出や解散について、当時の笠の心情などを求められることもしばしばある(但し、あくまで笠個人の見解・当時の感情を述べている)〔不仲やメンバー同士の固執があったかのような言葉を放送されることがある。しかし他のメンバーは笠の述べる「不仲」について首を傾げるコメントをライブなどで語っている。笠自身も放送に使用された言葉の前後を編集でカットされて、掻い摘まれた言葉だけが独り歩きしたことで周囲に誤解を招いてしまい申し訳ない旨をライブで述べた。〕。
*笠が熊本に移住してからC-C-Bのメンバーとは交流は続いており、時折セッションライブなどを行っている。
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*2013年2月13日、渋谷Star Loungeにおいて「笠浩二LIVE〜バレンタイン・イヴ SPECIAL NIGHT〜」を開催。渡辺英樹が参加。
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*2014年3月12日、渋谷Star Loungeにおいて「笠浩二LIVE 2014 SPRING」を開催。渡辺英樹・田口智治・丸山正剛が参加。
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*2014年7月17日、渋谷Star Loungeにおいて「笠浩二 LIVE 2014 SUMMER」開催。渡辺英樹・田口智治らが参加。米川英之も会場に足を運びライブを観賞していた。
*C-C-Bの元メンバーによるユニット・AJ-米田渡-の2014年のライブツアー『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」』の九州公演(6月16日、熊本DRUM Be-9 V2、6月18日、福岡DRUM SON)にゲストとして出演した。
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*解散時の4人が集結しC-C-Bの曲を演奏するのは、AJ-米田渡-の前身・“ヨネタワタル”が行った2004年の青山円形劇場公演(アコースティックライブ)以来、実に10年ぶりである(その際にもサプライズゲストとして出演したが、笠は痛風のためにドラムセットは使わずタンバリンでの参加であったこともあり、従来のバンドスタイルでの再現は1994年の「ザ・ベストテン同窓会Ⅱ」以来である)。
::『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」』ツアー最終日に、2015年2月1日に新宿BLAZEで行われる渡辺英樹のバースデーライブにおいて、解散時のメンバー4人がC-C-B名義で演奏を行う旨を発表。また、2014年10月27日、ニコニコ生放送で生中継された『田口智治バースデーパーティー?ライブ?』〔ニコニコ生放送アーカイブ 【C-C-B】田口智治バースデーパーティー?ライブ?【AJ-米田渡-】 〕の終盤のMCにおいて追加公演決定(2015年1月30日、神戸チキンジョージ)を発表、C-C-B名義でのワンマンライブを企画している旨を明らかにした。解散時の4人が同列に名を連ね、明確に“C-C-B”としてで観客を前に演奏を披露するのは1989年10月9日の解散コンサート以来である(『AJ-米田渡- TOUR 2014「走る★バンドマン」』九州公演では笠はゲスト扱いであった)。
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*2015年1月30日、明後日2月1日の渡辺のバースデーライブ『「ゴーゴーヒデキ」前夜祭』として、C-C-B名義でのワンマンライブが行われた。解散時の4人が同列に名を連ね、 “C-C-B”として観客を前に演奏を披露した。2月1日、『AJ-米田渡-×WY×C-C-B「ゴーゴーヒデキ」』において、2015年6月に『C-C-B TOUR 2015 「Welcome to the C-C-B SHOW」 〜昔の名前で出ています〜』と銘打ったC-C-B名義でのライブツアーを行う旨を発表。しかし同年6月12日夜、渡辺が大動脈解離を発症して緊急入院したため予定していたライブは全て中止となった。同年7月13日に渡辺が他界したため、解散時の4人でのC-C-Bワンマンライブを行うことは叶わなくなった。
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*渡辺の逝去を受け、同年8月10日に新宿BLAZEにて『お別れの会 「ヒデキファイナル」』と冠したライブが行われた。6月に行われるはずであったライブで使用するために渡辺と一緒にデザインしたというロゴを配した〔“C-C-B”のロゴと笠のトレードマークであるピンクの眼鏡をバスドラムの正面に配した。〕バスドラムが華やかに目立つドラムセットで、米川のギターと共に“C-C-B”として演奏をした。
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*C-C-Bを一躍メジャーシーンに押し上げた『Romanticが止まらない』の作詞者であり、笠が恩師と慕う松本隆の作詞家活動45周年を記念したライブ『風街レジェンド2015』が2015年8月21日・22日に行われた。当初C-C-Bも出演の予定であったが辞退した〔6月に渡辺が倒れた時点では、渡辺を除く3名で出演する予定でいたが、7月2日にメンバーの田口が逮捕されたことを真摯に受け止め、C-C-B名義でイベントなどへの出演は全て辞退することになった。〕ことを松本が気に掛け、同ライブのために作られた限定品のドラムスティックを笠のために一対取り置き、後日、笠の手元に届ける計らいをみせた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「りゅうこうじ」の詳細全文を読む



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