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第100歩兵大隊(だいひゃくほへいだいたい )は、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍においてハワイで戦前から徴兵によって軍務についていた兵士達を中心に編成された部隊。ヨーロッパ戦線に投入され、イタリア戦線、フランス戦線でドイツ軍相手に戦闘をした。第二次世界大戦中の死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)。 ==概要== 当初は敵対国である日本人を祖先に持つ事から前線には送られずにアメリカ本土にて半ば隔離的に訓練をしていたが、後にイタリア戦線に送られ第34師団(レッド・ブル)に配属。 イタリア戦線においてはモンテ・カッシーノの戦い等が当時の新聞などでも紹介された。 また34師団所属中の2世兵士は、この頃ヘルメットの前面に師団シンボルである「レッドブル・赤牛」をペイントしていた。 これは1943年10月10日に師団長の命令により行われた物で、師団に一員に迎え入れられた証、と二世達は喜んだ。 後、志願による本土移民の日系2世とをハワイの二世を加えて編成された第442連隊がイタリア戦線に到着し、第100歩兵大隊はその第1大隊となる(名称は第100歩兵大隊のまま) 当初は「ジャップ」と呼ばれ、上級指揮官から「必要ない」と言われた日系部隊だったが、戦闘を重ねた後は各方面の指揮官から2世部隊を増援で欲しいと言われた。 その後戦線の推移に伴い、第34師団から第36師団へと転属した第442連隊(第100歩兵大隊含む)は南フランスでブリエア解放、テキサス大隊救出等の作戦に従事。後にイタリア戦線に戻りゴシックラインの戦闘を経て終戦。大統領部隊感状を始めとする表彰を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第100歩兵大隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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