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第11回日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)は、1999年7月から12月まで開催。4月~6月のL・リーグカップ(←L・リーグ OKIカップ)、6月~7月の第3回FIFA女子世界選手権大会のあとに2ステージ制(前期・後期)で実施。勝ち点制が再び採用されるとともに延長戦が廃止となり、90分で同点の場合は「引き分け」となった。 == 概略 == 前シーズン限りで日興證券ドリームレディース、フジタサッカークラブ・マーキュリー、鈴与清水FCラブリーレディース、シロキFCセレーナの4チームが一斉に脱退したことで、リーグは大きな転換期を迎えた。 まず各チームが負担するリーグの運営分担金を3分の1に減額したり、外国人選手(帰化者はこの限りではない)を登録しない代わりに下部組織チーム登録選手を5名まで出場可能とすることなどで経費の縮減を図り、またL・リーグ参入を希望するチームのなかから浦和レイナスと、試験的にではあるが大学リーグから日本体育大学女子サッカー部を受け入れ、8チームと規模を縮小して行うことにした。 ところがこのような措置により外国人選手だけでなく日本人も含めた数多くのプロ選手が契約解除となる事例が続出し、澤穂希など日本女子代表の中心選手をはじめとしたトップクラスの選手たちの海外流出を引き起こすことになった。 さらにこの年の世界選手権での結果により翌2000年に開催のシドニーオリンピック出場を逃したことがL・リーグに大きな影を落とす。シーズンオフにはOKI FC Windsの廃部と日本体育大学女子サッカー部の撤退が表明され、またプリマハムと松下電器がチームスポンサーから撤退しクラブチーム化(伊賀フットボールクラブくノ一、スペランツァF.C.高槻)、旭国際開発のメインスポンサー撤退による宝塚バニーズレディースサッカークラブの完全市民チーム化が相次いだ。これらの企業撤退によりチーム基盤の弱体化が進行。リーグ全体のレベル低下を招くこととなり、観客動員の減少はさらに進行した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第11回日本女子サッカーリーグ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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