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第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」()とは、ナチス・ドイツの武装親衛隊に所属した師団のひとつである。師団の通称からもわかるように、青少年団体「ヒトラーユーゲント」から選抜された青年を中心に構成された師団であった。ドイツ人のみで編成された武装SS師団としては最後のもので、下級兵士の大半が16歳以上の未成年で構成されていた。第二次世界大戦末期、ノルマンディー上陸作戦に伴うフランスでの戦闘、バルジの戦い、春の目覚め作戦などに参加した。 == 創設 == 親衛隊は自前の兵力である武装親衛隊師団の拡張を図っていたが、大戦も半ばとなるともはや人材が不足しており、新たに編成される師団は外国籍のドイツ系住民や外国人義勇兵によるものばかりとなっていた。1939年、既にヒムラーSS長官と、当時のユーゲント総裁であったシーラハとの間には、ユーゲント出身者を優先的に武装SSに配備する取り決めができていた。そして1943年2月、当時の総裁であるアクスマンはSS作戦指導本部の幹部と、ユーゲントから引き抜いた若者を中心にした武装SS師団の創設について話し合った。これは可能性を検討したものであり決定事項ではなかったのだが、SS本部長ベルガーは通常の手続きを無視した形で、この案を実行に移してしまった。 もっともこれに対して反発する意見は少なく、むしろ歓迎する声が大きく、以前より交流の多かった第1SS装甲師団から、師団長以下の指揮官が抽出されることとなった。それでも将校の数が足りず、国防軍からも50人ほどの出向者を迎え、下士官は優秀な兵士を選抜し昇進させている。国防軍からの出向者は陸軍の制服を着用し続けたが実際は完全に師団の一部として行動した。 1943年6月1日、第12SS装甲師団ヒトラー・ユーゲントが編成された。まず選抜された18歳の青年10000人に対し、ガチョウ足行進訓練などは省いた実戦向けの訓練が行われた。7月には早くも国防軍D軍集団配下となったが実戦には投入されず、ベルギーやフランスにおいて訓練が続けられた。 なお未成年の兵士が大半を占めるため、タバコの代わりに戦時には貴重品であるチョコレートやキャンディーなどが支給されている。 同師団の編成情報を入手した連合国軍は、哺乳瓶を師団マークにした宣伝ビラを撒くなど、完全な二線級部隊と決め付けていたが、やがてそれが大きな間違いであることを身をもって知らされることとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第12SS装甲師団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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