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第1次ポエニ戦争 : ウィキペディア日本語版
第一次ポエニ戦争[だいいちじぽえにせんそう]

第一次ポエニ戦争(だいいちじポエニせんそう、, , 紀元前264年 - 紀元前241年)は、カルタゴ共和政ローマの間で戦われた三度にわたるポエニ戦争の初めのものである。
この戦争で二つの勢力は、地中海の西側の覇権をめぐって、23年間にわたって争った。
カルタゴは、アフリカ大陸の現チュニジアの場所に位置し、戦闘が始まった頃は地中海を支配する大国だった。戦争の結果、ローマ軍が勝利し、ローマはカルタゴに厳しい講和条項と多額の賠償金を課した。第一次ポエニ戦争を出発点として、ローマは 60 年間にわたって勢力を拡大し、地中海海域のほぼ全てを支配するに至る。ローマ軍の勝利は、古代地中海の文明がアフリカに依存する時代から、ヨーロッパ社会に委ねられる時代に変わる転換点となった。
日本語でのポエニに当たるローマ側の とは、カルタゴを建設したフェニキア人を意味する Phoenici (ポエニキ)から派生した語である。'' とは、カルタゴを建設したフェニキア人を意味する Phoenici (ポエニキ)から派生した語である。
== 背景 ==
紀元前3世紀の半ば、ローマの勢力が拡大してきた。内乱や騒乱の数世紀を経て、ローマは全イタリア半島をしっかりと手中に収めた。ローマはラテン同盟サムニウム人のような全ての敵を征服し、エペイロスピュッロスの侵入を撃退した。ローマ人は、自らの政治制度と軍事力に確信を抱くようになった。
ティレニア海と現チュニジアの領土の一部にあるシチリア海峡を挟んで、カルタゴが既に地中海における商業航路の大部分を統制し、海軍力と商業力を支配していた。アフリカ大陸の現チュニジアの場所に位置するこの都市は、元来はフェニキア人の入植地として生まれたが、北アフリカ沿岸からヨーロッパのイベリア半島までを支配する大国の首都となっていた。カルタゴのハンニバルによる侵攻を含めたローマとの一連の戦争は、もう少しでローマ帝国の誕生を阻むところだった。ローマの勝利は、古代地中海の文明化がアフリカではなくヨーロッパに渡される、記念的な転換点となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第一次ポエニ戦争」の詳細全文を読む



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