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== 概要 == 内閣総理大臣の石橋湛山が総理就任後間もない1957年の年明けに体調を崩し、脳軟化症と診断されて療養に入った。通常国会の審議に出席不能となったことを受けて石橋内閣が総辞職したことに伴い、後継総理に外務大臣の岸信介が首班指名を受けて組閣した。 国務大臣として1956年の自由民主党総裁選挙第3位であった石井光次郎を新たに入閣させたことを除き、石橋内閣の閣僚をそのまま引き継いだ居抜き内閣である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第1次岸内閣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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