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第22回都市対抗野球大会(だい22かいとしたいこうやきゅうたいかい)は、1951年8月5日から8月12日まで後楽園球場で開かれた都市対抗野球大会である。 ==概要== *プロ野球の急激な拡大により社会人野球や都市対抗野球大会の行く末を不安視する声があったが、前回大会が無事成功裡に終わったことから、企業が社員の士気高揚のために本腰を入れて野球部を創設、補強するようになり、全国に多数の企業チームが誕生した。 *今大会も20チームが参加したが、初出場が12チームにものぼり、古豪のクラブチームが軒並み姿を消し、いよいよ本格的な企業チーム時代へと突入していくこととなる。 *その中で異彩を放っていたのが大阪市・南海土建。当時ファーム組織による二軍戦が確立されていなかったことから、南海ホークスの二軍選手を南海の子会社である南海土建に出向させ、そこで野球部を作り都市対抗野球大会に出場するという「裏技」であった。しかし、社会人野球の歴史を汚すという理由からこれ以後プロ野球選手の集団移籍は禁じられた(その後柳川事件によりプロ選手受け入れが全面禁止となったが、現在はプロ・アマ交流促進のためにプロ選手受け入れが復活した)。 *その中で優勝したのは前年覇者の全鐘紡。史上4チーム目の連覇を達成。決勝戦では実質プロの南海土建と対戦したが、3-2の僅差で勝利し、社会人野球の面目を保った。橋戸賞は日本生命から補強の松井実遊撃手が獲得。松井選手は本職のショートのみでなく、リリーバーとしてマウンドにも上がり、投打にわたって活躍。前年から補強制度が導入されたが、補強選手が橋戸賞を獲得したのは初めてのケース。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第22回都市対抗野球大会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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